昭和19年 6月のマリアナ海戦に敗れた日本海軍は、航空母艦のほぼ全部を失い、事実上壊滅しました。
10月には残存艦隊そのもので、フィリピンのレイテに特攻を行いますが巨大戦艦「武蔵」を含め3隻の
戦艦、4隻の航空母艦、9隻の巡洋艦を失い、海軍としての機能を失いました。
それでも敵は日本に接近してきます。
何としても敵艦隊を食い止め、日本接近を阻止しなければならない。
当時、唯一日本だけが実用化に成功した「酸素魚雷」は、一発でも当たるとキールはへし折れ、致命的な
損傷を与える大威力で、しかも射程の長い魚雷でした。
米国海軍の将兵からも
「青白い殺人者」
と恐れられましたが、目標を追尾する能力はありません。
この大威力の魚雷が全弾命中すれば、米国艦隊も大打撃を受けて日本接近を諦めるに違いない。
そこで考えられたのが、必ず命中する魚雷で敵艦を撃沈する。
現代であれば、音響追尾、赤外線追尾(俗に言うロック・オン)で、まず外れないで命中するミサイルがありますが、当時の日本にそんな物はありません。
だから人間が操縦して命中させる。
戦局を一挙に好転させる願いを込めて「回天」と名付けられました。
人間がやっと一人乗れる様に改造された酸素魚雷は、小型の潜水艦の様な形になりましたが、潜水艦の
様な能力はありません。
視界はゼロ。
小型の潜望鏡で敵の位置を確認して全速力で動き出した後は、まったくの盲目で疾走します。
水中速力30ノット。
これを防ぐ事は不可能ですが、日本が考えた様な目標追尾には程遠く、命中せずに燃料が切れ自爆する
者が続出。
潜水艦から発展する回天の戦果は、発展した本人は報告出来ず(死んでしまうから)、発進させた潜水艦も確認が不可能です。
果たしてどれだけの戦果があったのか、今でも明らかではありません。
魚雷になる兵士を発射する潜水艦の将兵の心境を思うと、その重圧はいくばくだったか。
ウルシーに停泊中の輸送艦に命中し、大爆発の音で戦果を確認した潜水艦の乗員は、その音にバンザイ
を叫んだと言われますが、潜水艦乗りが潜航中にそんな事をしたろうか?
米国でも戦果が確認された、数少ない例となりました。
艦隊を失っても、それでも国を守ろうとした海軍将兵達。
あれがない、これがない文句も言わず、出来るだけの方法で戦い、後世の日本人に望みを託した先人達。
私に批判など出来ない。


