仕事はやむなく休みいただきました。
親戚の葬式でもありましたが
今回は参列する側でなくお手伝い側
会葬の受け付けや会計、自宅から斎場に向かうバスの応対をしていました
会葬者がバスに集まる間に撮影した桜
風は強く、花は粉雪のように散って行きます
今日は散りゆく桜みると
無情な淋しさだけが残ります
今故人にできる精一杯のこと
仕事も休んだんだし
執事になり切る思いで張り切りました
足の悪い方に手を貸したり
杖ついている方には荷物をお持ちしたり
普段決して街中ではやらない行動を。
すると老人からはっきりとした口調で
思いがけない話を聞きました
以下自分のメモ書きとして
我が家の前から線路まで1km弱
今は水田が広がっているが
戦前は小高い山(丘)だった
当時は古墳跡とも言われていた。
山には桑の木が繁り養蚕業が盛んであった。
国道が通っている辺りは水でぬかるみ渡れるものでなく
この町は陸の中の島のような場所だった。
神社から南東あたりをサンヤと呼んでいた
サンヤとは三軒屋敷の略称で
関ヶ原の合戦で逃げてきた人の墓地があった場所
俺も語り継いでいこうか。。
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