ソポクレス「アンティゴネー」
岩波文庫 呉茂一訳


兄二人は同士討ちで死に、アンティゴネーも窟で首を括り、その婚約者も恋人の姿を見て自刃して果て、自刃したときいて妃も自ら命を絶った。
死が溢れていますが、でも、生き残った人々がいるのが印象的。
それでもなお、オイディプスの血は絶えない。

アンティゴネーは、幼きより不幸に鍛えられ、名誉な滅びへの道を愛とともに邁進した娘だ。
最後、窟に閉じ込められる時分になって、己の身を嘆き、必ずしも立派に死んでいったとは言えない態度で死に場へ連れて行かれる。
前半のアンティゴネーの威勢ならば、とっとと連れて行け!と言って、哀れに思って連れていくのを躊躇う兵士の手を牽いてみずから窟へ赴きそうなものを。
てことは、彼女もまた、苦難に運命づけられたみずからの人生を、心から喜んで受け入れている訳ではないのだ。
彼女は彼女の苦難にみちた不幸な運命を悟り、それと戦いながら生きた普通の女の子なんだろう。
だからこそ、イスメーネーに冷たかった。
マリアのような心根を持った、愛に満ち溢れた人間ならば、イスメーネーを受け入れたはずだ。
アンティゴネーもまた、人間なんだ。
神から受けた定めを強く自覚して、運命に流されないよう自分を精一杯生きた人間なんだ。

それでもまだ、運命に遺志を決められていないとは言いきれないのがこの物語の怖いところ。

オイディプス王の神託の恐ろしい前例があるため、この物語の登場人物達はみな神の遺志に敏感である。
クレオンは、それまで物語を引っ張ってきた彼の頑なさを、テイレシアスからの神託の一言で曲げて、物語の集結へもって行くし。


生き残った人々。

クレオンは神の法に背き、その結果としての自らの罪を背負いながらも、生きて王としてありつづける。
王としての権威に固執した王は、王でありつづけるという罪業を負わされる。

イスメーネーは、アンティゴネーの提案、兄の埋葬を拒む。
王の権威に屈服して生きている姫である。
彼女は幼いということで、親と姉に置いていかれた。
それがたとえ死出の旅であっても、家族の絆がなによりかえがたく描かれている、オイディプス王の物語のなかでだ。
ま、分別ようやくついた位のアンティゴネーが、オイディプスの手を引くと名乗り出て追放されていったんだっけ。

アンティゴネーは、死へ向かう苦難を一身に与えられた娘。
イスメーネーは、生きつづけるという罪業を与えられた娘なのだと、思った。

死は悲劇だが、滅びは美しい。
それでも人は生き続ける。
血を、絶やさせないという呪わしい罪を負わされたのが、イスメーネーなのではないか。

死ぬは不幸、されど生きる不幸もやにまさる、なーんてソポクレスの声が聞こえたり聞こえ無かったり。



そんな感じで、思うところが一番多かったのはアンティゴネーだったかな。
オイディプス王はもう色々既に知ってたから発見も少なかったしね。
コロノスは・・・ソポクレスが最後に書いた訳が分かった。
むずかしい。


ま、ともあれオイディプス王『三部作』読破~♪