いきなりだが、自分が他人に言われて納得できないことは、「甘やかされて育っただろ」。

私自身、平均的な生活を送れた、と自負してはいる。だが、兄弟と比べるとどうしても、恵まれているのに恵まれていない感覚になる。つまり、金銭的には一般と同程度の豊かさはあったが、感情的には人並みに恵まれてなかったと思う。というより、そう自分が感じているのだからそのことは確かである。

具体的には、兄と妹は同じ待遇を受けているのに、自分の時になった途端、親は急に冷たく、面倒臭そうに対応すること。大学へ進学するにあたって、兄と妹は一人暮らしを許可されているし、さらに1人暮らしをする上での必要な家具家電、その他諸々を親や親戚から支援してもらっている。私はというと、一人暮らしのことを相談すると全部自分でやれと言われた。というか、反対的な意見を言われた。親が「兄は1人で探して決めたよ」と言うのだが、自分の目から見れば、確かに兄は積極的ではあったが、親もどうように積極的だったと思う。自分の時は、消極的な態度だったので、とてもムカついた。さらに、自分の我慢の限界を越えさせた出来事は、妹の一人暮らしである。妹は寮なのだが、親はそれに積極的だった。そして、何よりこたえたのが、「妹は女の子だから」と特別待遇を親が直接言ったこと。この言葉自体はなんら問題ないのだが、前述した兄への待遇と重ねて、つまり私というか自分はどうでもいい存在なのか、と成人してもなお突き付けられたこと。普通は、成人した人間というのは精神的にも肉体的にもある程度タフなのだが、私の場合は違った。兄弟との格差をずっと抱えていて、それを見て見ぬフリをしていたが、どうやら認めなくてはいけなくなったこと。待遇の違いは他にもあるが、思いだすと自分がどれだけ親にとって、どうでもいい子供なのか、を思い知るので、心の整理ができてから書く。

自分が親から愛されていない、と思い込める強い根拠は、小学2年生のときに自分の名前の由来を親から直接聞く、という宿題で明らかになった。もともと、私の今の名前は想定外だったこと。なぜなら、兄が産まれ、次は女の子が産まれることを望んで、女の子の名前を考えていたから。そこで男の私が産まれた。幸か不幸か、三人目に妹が産まれた。このことから、私は望まれて産まれたのではないと知るハメになった。今でもこのことを覚えているのだから、当時小学2年の自分は相当なショックだったと思う。これも円形脱毛症やリンパの腫れの原因になるストレスだったのかもしれない。

「今でも根に持っているのはなぜか?」ということについて。私が根に持つ理由は、兄が怒られる姿などを見て、自分はそうしないように立ち回ったり、我慢したりしてしまったからだ。兄は自己主張を躊躇いなくするのに対し、自分もするはするものの、相手の顔色を窺い、怒られないことと拒絶されたくないこと、を第一に考えるため本音を言えないことが多々ある。自覚しているのだから、治せそうな気がするのだが、色々試行錯誤やチャレンジしてみて、自分らしくないと感じる。つまり、自分は人の顔を伺って発言する臆病者があっている、むしろそういう人間なのだということ。これが、これら全てを飲み込み、取り巻く自分の生き辛さの元凶だと思っている。治そうにも、自分らしくないと感じるため断念する。しかし、今の自分は本音を言えないので、生きづらい世知づらい。だから、治したいのだが治せない。このループで永遠に苦しむ。まるで、自分が何か物語のキャラクターなのではないかと錯覚してしまう。抜け出したいのに、抜け出せないのは、自分のキャラクターはそういう設定が備わっているから。そう考えるほど、自分という人格が馬鹿馬鹿しく思えてくる。自分という人間は一体どこにいるのか?見つけたら私に教えて欲しい。