高校生・続

高校生になってから、初めて勉強したといった。でも、勉強はできなかったので長くは続かないと思った。そこで、好きな分野や気になったことについて、空いた時間に息抜きで調べることをした。好きな分野は理科である。理科ができたのかと言われれば、できはしないが、目に見える現象の理由が事細かく事実に基づいて述べられていることが気に入った。たとえば天気などの気象の分野。三寒四温、西高東低、梅雨前線など聞き馴染みのある言葉がでてくる。どうして雲ができるのか?雪が降るのか?梅雨があるのか?など見えないが、確かに現象として存在することを私でも納得できた。他には光の速度は音より速いこと。これは雷を見れば明らかで、雷が一瞬光ってからあの心を突き破るような轟音が聞こえる。光が音より速いということをはじめ、目に見えることで説明するのが何より難しいことか。気になったことについてなのだが、私が気になったのは小説家についてだ。国語の便覧集に作品や生涯などが細かく載っていた。第一に目をつけたのが、自殺が多かったこと。教科書に載るくらい有名になったのにも関わらず、自分で命を断つなんて何がそこまで嫌なのか。彼等の共通点として、小説に自分の過去や体験したことを題材にしていること。世に見せる作品に実体験を書くのは恥ずかしくなかろうか。もしかしたら、誰にも打ち明けられず、かといって心の中に閉じ込めておくには、あまりに重すぎたのかもしれない。そう彼等の作品からは、読み取れる。小説家と聞けば、一番に作品が浮かぶ。二番目はなんだろう。みな高学歴揃いだから大学を思い浮かべる人は多いのではないか。私も最初はそうだった。だが気になったことを調べてから、二番目は生い立ちに変わった。小説家というのは、なぜか精神を病むし、何かに溺れている。ただ呑気に筆を走らせてるわけではないようだ。彼等は子供時代に親族間で問題を抱えていたケースが多いとわかった。自殺はしていない小説家でも、この問題を持っており、小説にその体験を綴っていたりする。これを知って私は酷く驚いた。高校生の時の私は、これから先の現在の私が、今なお精神が不安定で気分屋な側面を解消できず、また過去の忘れたい記憶をフラッシュバックさせていることを知らないのに、このときすでに親近感や将来同じ病に悩まされると察していたからである。偶然ならどれほどいいか、彼等が子供の時に抱いた気持ちに、私も共感やその原因となった体験に近しい出来事があったと気付いてしまった。人を信用できず、どこか他人を見下している。それでも尊敬する憧れの人物はいる。その人物に近づこうと努力するが、何もして無力を感じ、無気力になっていく。それでも何かに縋り、依存してでも進もうとする。生にたいする執着は無く、自分の価値を認めてもらうこと、尊敬する人物に近づくこと、これが私の生きる理由だ。