疑い | maison de Ray 宮崎市 ポーセラーツサロン(mamaのキロク)

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自分を高められる事なら何でもチャレンジ!

産後の病でのヒットで
思っていたより 多くの方が 情報を求め苦しんでいる事が わかりました。

続けますね。。。


小さく産まれた息子も 予定通り 退院。
里帰りだったので 実家に連れて帰る!

皆が息子を囲み そこには いつも自然と笑みが。。。


一番変わったのは父である。
とても愛情深いけど、喜びを あまり顔や言葉に
出さない父が 孫命へと豹変する 笑

私も言われた記憶のない「大好き」と言う言葉を
いとも簡単に口にし、耳を疑い 驚き過ぎて
 固まった 笑

ある時は 息子を抱いて 歌ってる。
それを聞いてた私と母は 顔を見合わせ
笑いを堪えるのに必死だった。

お父さん こんな顔するんだ。。。
こんなに人を簡単に変えてしまうのかと。
子供の力は凄いな、、、なんて思いながら。

私自身は 退院後 全く食べられなくなり
毎朝 ムカムカ吐き気で目が覚め
特に 息子と二人きりになると
更に不安で 吐き気が増す様に。

もともと嘔吐恐怖症の私は、その吐き気で
顔から指先へと血の気が引いてゆくのが分かる。
暫くすると 体に力が入らず 貧血で
倒れ込んでしまう。

だから私は お酒を飲まない!
顔が赤らむと言うより青ざめる。

「こんな状態で この子を育てていけるのか」
「私が倒れたら この子は どうなるんだろう」
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そう思うと 恐怖と罪悪感から
毎日 息子を抱いては
「ごめんね。こんなママでごめんね。かわいそうに」
と泣いてばかりいた。

頭が持ち上がらない。そんな時の
息子の泣き声が 更に恐怖になっていった。

「母親になれば強くなると思ったのに。。。」
こんな母親をもった息子が不憫で
悔しいやら 情けないやら。

私は 母親になる資格がないと烙印押された様な
気持ちで その内「死」すら考える様になった。

妊娠中8キロも太った身体は
この時 39キロに。。。
正直自分でも怖くなった

母は少しでも食べられるようにと、
林檎を剥いてくれたり、
バナナジュースを作ってくれたり、
常に寄り添ってくれた。

また母乳は水芸並みで 笑
困る事はなかったが
食べられないとなると
息子は母乳から栄養も摂れない。
それも罪悪感のひとつで
無理してでも 口に少しずつ押し込んだ。

育児書通りにいかない育児のはずなのに
初めての子で 余裕がなく。
色んな本を読んでは 徹底していた。

いい加減で面倒くさがりなのに
極端に完璧主義で、神経質。

合理的主義のはずが不合理な事ばかりしている
そんな自分に 完全に疲れてしまっていた。

長く続く産後鬱を その内 疑う様に。。。
「なんか違うような」
「このままだと 息子を育てていけない」
その時 初めて 病院に行く事を考える。

息子が3ヶ月の時だった。