【非日常は買えるけど、日常は買えない】
先日、とある介護施設で働く男性に、長時間にわたってお話を聞く機会がありました。
彼は、担当している高齢の男性について、プライペートなことは話していませんが
毎日のエピソードをたくさん話してくれました。
そのとき、私の心が動いたことのひとつに
その高齢者の方が(仮に、Aさんとしましょう)
ほかの方と「口論になりそうになったから
スタッフが間にはいって止めた」
という出来事がありました。
普通じゃん、それって。
そして、よくあることなんじゃないの?
って、私には済ませられなかったのです。
家族と一緒に生活していたら
口論なんて、普通ですよね。
仲の良い夫婦も口論ぐらいするし
兄弟姉妹も口論する。
お互いに大人になった親子だって、
たまには小さな言い争いぐらい
するのではありませんか。
それって日常じゃないですか?
Aさんは、意見が合わなかった
(というか自分の意見を受け入れてくれなかった?)
他の方に、
「わかってほしい、話を聞いてほしい」
という気持ちをぶつけていったんです。
家族なら、絶対に受け止めたはず。
見栄え、聞こえは悪いけど
互いに言いたいことを、声を荒げて
主張しあったはず。
その日は腹が立ったり
気まずかったりしても
何日かあとには、ただの些細な出来事として、
そう、日常として終わってしまう家族の
毎日が
Aさんには許されなかった。
口論さえもさせてもらえない。
介護のスタッフの方は
家族、ではない。
そして口論したかった相手も
家族、ではない。
家族との毎日イコール日常。
日常があるってどんなにありがたいことか、
そんなことを思いました。
非日常が、珍しくて
高価でありがたくて・・・・
というイメージを持っていたのが
間違いだったような気がします。
日常こそがありがたい。
家族と暮らす毎日、プライスレス。
何もなかったかのように流れていく
毎日が、ありがたい。