エンディング・ノート
それは、人生の最期に向けて
メッセージを残すだけのものではなく
あなたがより良い人生を歩み
素敵に輝くために活用できるもの
心と物の整理をしながら
素敵な人生を歩むお手伝いをする
終活アドバイザーの佐藤真砂子です
腰が痛いと整形にかかっていた母、
いっこうに治る気配がありませんでした。
母は体調が良くないと感じていましたが、
なかなか原因にたどり着きませんでした。
やっとある病院での血液検査から
すぐに大きな病院に行きなさい!と
紹介状をもらい診てもらったら
「余命1ヶ月です」
すぐに入院の準備をしてきてください。
と言われてしまいました。
母は大腸がんの肝転移で、
すでに手がつけられない状態でした。
母は、入院までのほんの数日に
お友達とスーパー銭湯に行き髪を切り
(さっぱり綺麗にしておきたかったのかな)
定期預金の解約、
借りていたものの返却、
保険証券・登記簿等の書類のこと、
互助会に入っていること、
親しくしている人たちの連絡先リスト、
など、私たち子どもが困らないように
一気に準備してくれました。
また、当時は母と私で(たまに下の妹)
病気療養していた妹の介護をしてました。
母は気力だけでみていたのかもしれません。
そんな状況だったので
私は母に付き添うことができません。
この時の診察には
母の友人が付き添ってくれました。
母の兄弟姉妹、つまり私の叔父と叔母、
母の友人たちが協力して
母を支えてくれました。
病院での先生からの説明は叔父と叔母、
普段の着替えはお見舞いも兼ねて
叔父叔母にお友達が毎日のように
行ってくれていました。
本当にありがたかったし助かりました。
母は治療せずに緩和ケアを選びました。
どうするのかは本人の選択です。
父方の叔母がいろいろ言ってきましたが
本人の意向であることを伝えました。
私は母から銀行のカードを渡され、
銀行に行って少しずつお金をおろし
手元に持っておくように言われました。
きっと、お葬式や入院費に使うために
準備しておきたかったのだと思います。
おかげで支払いもスムーズでした。
また、病室で書いたらしく
ノートに私たち子どもや叔父叔母あてに
メッセージが残されていました。
お友達あてもあったのですが、
字を書く力がなくなってしまったみたいで
途中で終わっていました。
自分の母親ながらすごいな、、、と
感心してしまいました。
あんなに具合が悪いなかで、
常に家族を気づかってくれていました。
がまんさせちゃったのかな、、、
本当に1ヶ月強で逝ってしまった母ですが、
その間に2回の自宅への外出と
病気療養中の妹を連れてお見舞いに2回
最期の数日間は下の妹が付き添い
最期のときにはみんなで見送れたことは
よかったと思っています。
今日も最後までお読みいただき
ありがとうございます。
素敵な一日をお過ごしください。