病状の変化とリハビリ | 『楽しい終活の専門家』佐藤真砂子のブログ

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『自分の人生の「希望」と「安心」が手に入る!楽しい終活ワークショップ』でエンディングノートが書けて終活について学べる講座を開いています。

がんばっているすべての方へ




このブログは、私の妹真紀が膠芽腫(こうがしゅ)という頭の癌になり、入院•自宅療養した時の記録です。




このブログが、今がんばっている方にとって少しでもお役にたてたら嬉しいです。



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①  2013/5/4    〜2013/12/21   入院期間

②  2013/12/21〜2015/10/23   自宅療養

③  2015/10/23〜2015/12/26   入院期間

④  2015/12/26〜2018/1/8       自宅療養
                                                天国へ



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おはようございます。
きのうはとても暖かく初夏のような陽気でしたね。
おかげさまで窓全開でお掃除がはかどりました。


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リハビリを見ていると、真紀の体調の変化がよくわかります。
体のリハビリだけでなく、頭のリハビリ(言葉や手先を使う)も同様です。




最初の手術の後(A病院)


最初の手術は、脳幹脇の言葉をつかさどる神経の辺りでした。
急激に大きくなっての緊急手術でしたが場所が悪く半分も取れなかったんです。


真紀はずっと不安からなのか、意味不明のことを喋り通しでした。


この時は、物を見せて
コレはなんですか?
と質問され答えるということをしていました。
ある程度答えられていたと思います。
日付はいまいち合っていませんでしたが、、、



体は、この時は歩くことができたのでリハビリ室に行っていました。
私は付き添ってなかったのでよくわかっていません。



転院後(B病院)


地元の病院に転院したときには、病気がさらに進んでいたらしく右半身の麻痺が出てきはじめていました。
➡︎放射線治療と抗がん剤治療、点滴処置後に動くようになりました。
むくみだったみたいです。



病室での手足を動かすリハビリと病棟内を歩くリハビリをしていたように思います。  


言葉は、病室でカードを見ながら答えるというものでした。




2回目の手術後(A病院)


2回目の手術は、運動神経をつかさどる神経の辺りでした。

言葉への影響はありませんでしたが、運動神経は傷つけてないにもかかわらず左手足が長い間動かすことができませんでした。


体のリハビリは病室内で
最初は寝たまま手足のマッサージをしたり動かしたりしていました。
その後、ベッドに座らせて支えながらおじぎの練習➡︎背中や腰にいいみたいです。
つかまり立ちする練習
車椅子に乗る練習➡︎これはなかなか大変でした。



転院後(B病院)

体調によって、病室内で手足を動かすリハビリだったり、リハビリ室に行ったりしていました。
しかし、この間体調が悪化していたのでリハビリの先生がいうことがだんだん理解できなくなってきていました。
また、動きも悪くなってきていました。

横になり起き上がる練習をしていた時があったのですが、真紀は横になったまま先生の呼びかけに応えないことが増えてきていました。
常にボーっとしていたり寝てしまうような感じでした。




そんな状態から回復してきたのですが、、、



状態が良くなってきてからは


リハビリ室や病棟内を補助用具を使い歩く練習をしていました。
➡︎杖を使い歩く練習と階段を昇り降りする練習
➡︎つたい歩きの練習


普段は車椅子で、歩くのは短い時間だけですが驚きの回復です。


この頃は話す言葉もだいぶはっきりしてきて、思考は大人の頭の状態ではありませんが、自分の意思をはっきり言えるようになっていたし、記憶もよみがえってきていました。



主治医の先生もリハビリの先生もびっくりしていました。

もちろん家族もびっくり‼️


真紀の生きる力と
周りの人たちの協力に感謝です。



たとえ寝たきりになってもリハビリは大切です。
動かすことにより刺激になるし、体が硬直しないためにも行って欲しいと思います。


病状にあわせたリハビリをしてくださいね。




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今日も私のブログに起こしいただき、ありがとうございます💖