ベイスターズ☆マニア -107ページ目

2011春季キャンプ宜野湾メンバー予想(打者編)

ご無沙汰しております。笑。


もう長浦には行けないは、マッサージには行けないは、ストレス爆発寸前と言うことで、今日はとうとう久しぶりに「当るも八卦」をやってしまいました。

明日も仕事なんですが、まあ、ちと。笑。


さて話はマジメに。


2/1からキャンプが始まりますが、明日か明後日あたりに宜野湾メンバーが発表されると思います。

横浜の場合は一軍は2/1~2/28までを宜野湾で行い、2月中旬の土日に1軍と2軍のボーダー選手のレベル合わせを意識した紅白戦を行い、その後若干の選手の入れ替えを行います。

1軍に昇格した選手はそのまま嘉手名から宜野湾に移動し、2軍に降格した選手は2/20前後に横須賀に戻ります。

昨年はベテラン選手(佐伯・野口ら)がベテラン待遇ということで、宜野湾に泊まりながら嘉手名で練習したり、単純にどっちがどうとは言えませんが、まずは今年の開幕メンバーの最初の篩ということで、そのメンバーを予想してみたいと思います。


まずいくつか前提条件を。

①新人選手は皆二軍。

②評価項目&重み付けは以下の通り。

 ⅰ・実績→昨年の成績(4割)

 ⅱ・期待度→昨年の終盤に登録されていたか否か(1割)

 ⅲ・プライド→年齢に応じて(1割)

 ⅳ・移籍選手→見ておきたい(2割)

 ⅴ・特待選手→首脳陣が扱いを意識していそうな選手(2割)

③1軍枠は昨年を参考に以下の通り。

 「投手:20、捕手:4、内野:8、外野:7」

 ちなみに公式戦では

 「投手:12~13、捕手:3、内野:7~8、外野:6」

 です。


自分なりの分析結果は以下の表の通り。(見えますか?)


セルビーのベイブロ


まず捕手ですが

 ①武山(27P)

 ②新沼(26P)

 ③橋本(21P)

 ④細山田(20P)

---------------

 ⑤黒羽根(10P)

という状況なので、上から4人といった感じでしょうか。


次に内野です。

 ①村田(73P)

 ②渡辺(53P)

 ③ハーパー(51P)

 ④筒香(39P)

 ⑤一輝(35P)

 ⑥喜田(34P)

 ⑦石川(34P)

 ⑧藤田(30P)

-------------

 ⑨北(17P)

 ⑩梶谷(15P)

 ⑪稲田(14P)

 ⑫山崎(10P)

 ⑬高森(5P)

ここも藤田までといったところでしょうか。

ただ、一輝・喜田あたりはポイントの大半が移籍特需なので、紅白戦で頑張らなければ、北・梶谷・稲田あたりとの入れ替えはあるかもですね。特に北あたりは年齢や昨年の二軍での成績を考えると楽しみな選手ですからね。 


最後に外野です。

 ①森本(77P)

 ②スレッジ(63P)

 ③下園(33P)

 ④金城(29P)

 ⑤井手(24P)

 ⑥松本(22P)

 ⑦吉村(17P)

--------------

 ⑧早川(17P)

 ⑨内藤(12P)

 ⑩桑原(10P)

とりあえず森本とスレッジは別格で、下園・金城あたりはほぼ確定圏内。

まずは、一軍枠と思われる井手・松本・吉村に、早川は足で松本・井手に、内藤は中距離打者ゆえ、吉村・下園に、桑原はモロかぶりの井手に挑戦するといった感じか。

ここで少し私情。昨年は2/1は宜野湾で迎えたものの、早目の帰京をしたジェニー。

1軍スタートでも2軍スタートでも関係ない。とにかく2/28には宜野湾にいるように期待しています。


そんなわけで今年初の「当るも八卦」でした。

外れても虐めないで下さいね。苦笑


ほいで、「投手編」ですが。。。。。

明日発表されていなければ明日の夜に頑張ります。。。。


ほいではお休みなさい!

2011.1.15 スポーツ講演会「野球への想い」仁志敏久

1/15の今日、朝から車を飛ばし、茨城県は「古河市」に行ってまいりました。

何のため????はい、これです。

「2011スポーツ講演会 野球への想い」 
講師 古河市出身の元プロ野球選手・古河大使 仁志敏久氏


セルビーのベイブロ


セルビーのベイブロ

アメブロガー【AIKO】さんのブログで、1/15の今日、講演会が行われることを知り、「古河市」のHPを見たら、「入場無料」でしたし、特に「市民限定」とか「整理兼要」とか書かれていなかったので。

少し寝坊したので、家を9時半に出て、目的地である古河市中央公民館には11時半に到着。
「列が出来ていて外で待つのイヤだな・・・」と思っていたら。。。。

10人ぐらいしかいない。笑。

まあ、13時半スタートだからね。。。。

「それでも50人ぐらいしかいなかったら・・・」とか思ったりもしましたが、流石は地元の英雄。
講演開始直前には公民館(というよりは体育館)のキャパ500人を超えて立見が出るくらいの人数がいました。


それでは市内の偉い方々の御挨拶は省き、講演の中身です。
仁志氏は、まず、きちんと話す内容をメモにして持ってきていました。
著書でいうところの「プロとしての準備」ということなんでしょうね。
講演そのものは1時間半ぐらいだったのですが、司会者の方が終わってから言ったコメントですが、「事前に話す内容メモを見ましたが、これだけの時間でも、メモ全体の3割ぐらいでした。(⇒たくさん、準備してきてくれたの意)」とのことでした。

セルビーのベイブロ

【講演内容】
それでは講演内容です。
今回は仁志氏の生い立ちからこれまでの時間軸に基づいた内容となっていました。
なので、私もそれに沿ったメモにしていと思います。(若干、話順とは前後しています。)
後半は「長嶋監督」「木内監督」「指導者に対しての提言」「古河市への提言」というあたりも。


<冒頭の挨拶>
・川崎の自宅から加須(久喜)ICを通ってきたのだけど、ICから遠いですね。新幹線も通過しちゃうし。。。小山に停まるなら古河でいいのに。。。いずれにしても交通の便が悪いですよね。まあ、栃木はU字工事のせいもあって元気だけどね。。。
・古河は地元ではあるのだけど、自分は中学卒業するまでしかいなかったから、思い出す友達も中学の同級生が多い。ふと思い出すのも中学生のままの同級生だったりすのだけど、今会うと中学生だった同級生が皆「おっさん・おばさん」なわけで。笑。今日も何人か来てくれているかもしれないけど、見た目に自身のない同級生は静かに帰ってください。昔の初々しいままの同級生という僕の記憶を「おっさん・おばさん」の絵姿の記憶に上書きしないで下さいね。笑。
・ 実を言うと、うちの家族は自分の実家にはあまり帰ってきていない。家族が言うんですよね。。。家が寒いって。所謂、都心とは何度か温度が違うし、家も少し温まりにくい造りなんですよね。


<幼稚園>
・ 父は恐い存在だった。所謂、昭和の親父。それでも、幼稚園の頃は問題なかった。
・ 幼稚園の頃はとにかく外で遊んだ。そのせいか運動は好きになったものの勉強は好きにならなかった。


<小学校低学年>
・ 古河市三小に入った。家から走れば10秒。
・ 忘れ物をしてもすぐに取りに帰れた。
・ 運動は引き続き大好きだった。ただ、野球人口は少なく、どちらかというとサッカーだった。サッカーはクラブチームが充実しているものの野球は小学校・中学校と硬式の野球クラブがない。
・ しかも野球はルールが複雑。なかなか子供では覚えきれないし、ルールが多いわりにルールブックを目にする機会も少ない。ちなみにプロ野球選手でも意外と細かなルールを知らない者が多い。(野球場は東北東を向いて作られる、一塁と三塁は本塁と二塁の場所が確定してから配置される等々)
・ そんな中、自分が野球を見るようになったのは、巨人・大鵬・卵焼き世代の父の影響。


<小学校高学年>
・ この時代の野球チームは小学校4年生になってから入部できたのだけど、この頃が最も辛く、子供らしい楽しい思い出は全くなかった。
・ 土日は全て練習。でも、これはまだ仲間がいたからいい。
・ 問題は平日。まず朝は1.5~2.0kmのランニング。しかも手足に重りをつけて。正直、朝から小学生がランニングというのも目立つけど、重りをつけてのランニングはすれ違う人に物珍しいものを見るような目で見られた。その後、鉄棒などをした後、朝ごはん。
・ 問題は放課後。学校終わって家にいると、5時半に帰宅した父親が蹴飛ばしてくる。今では考えられないけど、あの頃の親って残業もしないで、毎日きちんと6時前に帰ってきやがった。笑。そして、父親と2人で学校に行き、僕が投手、父が捕手をする。僕が少しコントロールを乱すと、父は僕の取れない遠くにボールを投げる。それを「犬」のように拾いに行く。。。実はこの時間、学校の校庭には同級生が沢山いた。最初は笑って見ていた同級生も次第に。。。。それこそ「連れていかれる牛」を見ているような目で。。。これは本当に辛かった。そして帰宅し、ご飯を食べた後は、居間から見えるところで一人素振り。通常は200回ぐらいなのだけど、時々、父が家から出てきて「あ~でもない」と始まると400回、500回となっていく。。。そしてその後、腕立て伏せや腹筋を50回とかしていた。
・ そのせいかこの頃の僕は優しい人間になる要素がなかった。男子だけでなく女子だって気に入らないと平気で蹴飛ばした。
・ 試合とかには5年生から出ていた。これは楽しかった思い出もあるが、野球そのものが楽しいというよりは、勝ったということが楽しかったという印象。
・ 試合をしていく中で、ものすごい力量の差を感じたことがある。当時、自分の身長が150cmぐらいだった頃、相手バッテリーはともに170cmぐらいだった。小学生の試合なので、軟球を使っていたのだけど、相手の選手は91mある外野のフェンスにぶつけた。ただ、ファールだったので、打ち直しとホッとしていたら、次はレフトのフェンスにワンバウンドでぶつける打球を。小学生の頃は外野の定位置がプロのショートの定位置のすぐ後ろぐらいだったので、その打球はランニングホームランになった。子供心に、「こういう奴がプロ野球選手になるんだな・・・」と思いましたね。ある意味、初めての挫折でした。ただ、この時期に挫折を知ったというのは、後々考えれば良かったのでしょうね。
・ ちなみにこの頃の成績(5段階)は体育を除くと全て「3」。体育は勿論「5」。親は「3」を取っている分には何も言わなかったですね。(勉強しろとも言われなかった。)


<中学校>
・ バカで自惚れた時代。1年生の頃から試合に出ていると、キャキャー言われる。ひどい時なんかは、練習にわざと大物ぶって遅く行ったりして。そんな時、父に「何故まだ家にいる!そんなことじゃダメだろ!」と一喝してくれて、普通に戻れた。
・ 中学時代には一度だけ数学で「2」をとってしまった。「2」には母が敏感になり、しばらく「外出禁止令」が出た。

<高校:常総学園時代>
・ たまたま僕によくしてくれていた人がいて木内監督に僕を紹介してくれた。そして大まかに入学が決まり、単願での入試を受けたら受かった。今でこそ、進学にも力を入れている学校だけど、当時は。。。笑。正直、試験結果も3科目とも10~15点ぐらいだったと思う。笑。
・ 古河市から近い高校からの誘いもあったけど、親から離れ寮に入るというのも魅力的だった。同級生の中には親から離れて寂しがっている奴もいたけど。
・ 寮は20畳ぐらいの広さに2段ベッドが4つor5つ位あり、8人~10人の部屋だった。
・ 寮生の中には汚い奴がいて。というのは平気で1週間ぐらい風呂に入っていなかったりして。というのも寮では22時までしか風呂に入れない。併せて1年生は2・3年生の全員が風呂を終えないと入れないのにも関わらず、21時50分頃、先輩全員の入浴が終わる。なので、その10分間で30人ぐらいいる1年生が無理やり入浴するのだけど、そういうのが面倒くさい奴は風呂に入らなくなる。まあ、1日・2日ならいいのだろうけど、1週間とかはね。。。しかもそういう奴は平気で洗濯していないYシャツとか着て授業を受けていたりする。自宅から通っている他の生徒からしたら臭かったんだろうな~。
・ ちなみに1年生の夜って忙しい。食事はともかく、洗濯や用具の手入れ(グローブやスパイク磨き)は先輩の分もやらなくてはいけない。
・ 実は高校でも1年生からレギュラーになった。これはとてもひょんなことからだった。たまたま出ていた試合で自分に「送りバント」のサインが出た。サイン通りにしたのだけど、当時、自分はバントがうまくなかった。バットを出した時に、たまたまバットを強く押してしまったのだけど、それが物凄い勢いで前進してきた投手の頭を越えた。所謂バスターみたいな形になって、上手い具合にヒットになった。このプレーを木内監督は「仁志は投手の動きを見て臨機応変なプレーが出来る選手」という印象を持ったらしく。。。笑。
・ それでも常総に入ったことで甲子園にも出られたわけだし、木内監督の存在も併せて、その後の野球人生の基礎になったことは間違いない。


<大学:早稲田大学>
・ 大学に進むか、プロに行くかは自分なりに少し思案した。ドラフトの日が早稲田の実技試験と同じ日だったのだけど、ドラフトでは指名されず、早稲田の方は受かった。なので、早稲田大学へ。
・ しかし、華やかに、かつ注目を浴びた高校時代と比べると地味な時代でした。まず試合をしていても、今と違って、スタンドはかんこ鳥。(斉藤佑みたいなスターもいない。)
・ 野球に取り組む姿勢もまずは「根性」。理屈はナシ。
・ それでも1年生と4年生の際には優勝した。

<社会人:日本生命>
・ 大学卒業後、プロ入りも視野にあったのだけど、当時はアトランタオリンピックの候補
でもあって。(セルビー補足:当時の五輪野球代表は大学・社会人のみ)大学生でも5人程、凍結選手という扱いをされる選手がいて自分もそうだった。その関係で社会人に進むことになったのだけど、結局、アトランタオリンピックには出られなかった。
(当時社会人or大学生だった福留・谷・松中・井口・今岡・川村!森中!らがメンバーで銀メダル)
・ 社会人を経験していたことは自分にとってとても大切な経験でした。特に金銭感覚などは。プロに入ってからそれなりの給料を貰っても、社会人時代の頃を意識しながらやりくりしようと女房といつも話をしていましたし。そうそう。女房と結婚したのも社会人の頃。社会人の頃の生活を一緒にしていたということは意識を併せる上でとても大きかった。
・ 社会人としての仕事では保険の色々な対応をお手伝いした。ちょうど95年には阪神大震災があったのだけど、日本生命は大阪が中心で自分も豊中に住んでいたので、多少なりとも恐い思いをしたし、仕事でも物資の供給を手伝った。特に当時の大阪の建物は耐震構造が整っていない建物が多く、新築でも壁が削れてしまっていたものが多数あった。しかし、あの震災は保険会社の蓄えを随分と削りましたね。まあ、仕方ないのでしょうが。笑。


<プロ:巨人>
・ 自分が入団した頃は逆指名が出来た時代。原さんに憧れていたし、話を頂いたので、逆指名させてもらった。
・ プロ入り当時は守備が下手糞だった。守備については土井(正三)さん、打撃に関しては武上(四郎)さんの指導が大きかった。

<プロ:横浜>
・ 色々と話をしたいこともあるけど、どうもブラックな暗い話になるので。。。笑。ただ、今回の買収騒動は球団が変わるチャンスだったのだと思いますね。残念ながら変わらない結果になりましたが、今のような低迷が続けば、また、そういう話が浮上する。球団も首脳陣も選手も皆が変わらないと、それこそ新潟に行くことになるんじゃないですかね。。。

<プロ:ランカスター>
・ 2010年はランカスターにいたわけですが、ものすごい環境で野球をしている状況であり、この状況を日本の選手や皆さん(ファン)にも伝えていきたいし、それをするのは自分の屋k目だと感じている。
・ 具体的には給与が毎月2000ドル。日本円で17万円ぐらい。しかも試合のある半年間しか貰えない。トータル100万円ぐらい。それでも夢を実現させるために頑張っている選手がゴマンといる。

<長嶋監督>
・ 巨人時代にかなりお世話になりましたが、もう皆さんがTVで見たままの方です。オーラもそうですし、とにかく格好いい。そして人に愛される人ってのはああいう人なんだといつも感じていた。王監督とはどちらがどうとかではなく、違う種類のオーラの方なんですよね。
・ 一方、とんでもないエピソードも。巨人とかには色々と差し入れがあったりするのだけど、1個数百円するようなイチゴが山盛り差し入れされていて、僕らが食べにいくと一つのイチゴの半分だけ残っていた。そしてバナナの時も。。。誰だろうと思ったら、何と長嶋監督でした。そしてTVでも有名な「一茂君、球場に置き忘れて帰宅事件」というのがありますが、一茂さん曰く「あのエピソード実は1回だけじゃない。何回もあるんだよ!凄いよなうちの親父。笑」と。


<木内監督>
・ 自分の野球人生において、これ以上ない存在。恩師。
・ とにかくはっきりしないのが嫌い。今では大問題になるかもしれないけど、平気で生徒を殴る。監督曰く、「オレは先生じゃない。監督だ。」ということなんです。笑。もっとも生徒である自分らも殴られていて、別にどうということはなかった。悪かったり、ミスしたりしたからこそだったし。今はモンスターピアレントとかいて大変でしょうね。
・ ただ、木内監督の指導があったからこその甲子園出場だったし、甲子園出場があってのその後の野球人生だったわけですから。

<指導者への提言>
・ 最近の小学生の周辺には色々な情報が氾濫していて「何故か」ということを突き止めることが可能な状況になっており、「いいから言うことをきけ!」と言われてもきけない。
・ 一方、指導者の立場にたち、思い通りにいかないと「どなる・怒る」人が多いらしい。(複数回耳にしている。)これではダメ。まずは誉めて伸ばしてあげないといけないし、常に考えながら育てていってほしい。
・ 今の社会は大人が作っているもの。子供はそれに引っ張られ、影響を受けているのだから、子供が何か問題を起こしたら、それは親を中心とした周囲の大人の責任なんだということをもっと自覚すべき。
<古河市に対する提言>(半分は講演初めの言葉)
・ 良かれと信じて、少しはっきり言わせていただきます。今の古河市には子供達が魅力的に感じる学校がなさすぎると思います。やはり野球でもサッカーでも全国につながるような魅力的な学校がないと子供達は県西から出ていってしまう。
・ 地域を魅力的なものにするには、スポーツを活用するのはとても効果的だと考えるし、現役を引退して時間のある自分はいくらでも協力させていただきたい。


【質疑応答】
少々時間が押されていましたが、司会が2つ、一般から2つ質問gが飛んでいました。

Q1:野球以外のスポーツにも興味を持っているようですが、少しその辺を。
仁志氏:積極的にやるべきですね。僕は現役当時、Jリーグの選手としたこともあるのですが、とにかく彼らの運動量には驚いたし、自分の体力の無さを痛感した。日本の野球選手はとかく野球しかしない選手が多いけど、本場アメリカですら、バスケットやなんかの別のスポーツをしている選手が多い。バスケットで後方から球が来るとかいうのは、通常の野球の動きにはない動きなので、日頃使っていない感覚・身体を使っていることになる。サッカーのアシストなんてのは、併殺の時のトスと似たような感覚だと思いますね。


Q2:最近は少年野球に女性が参加している状況ですが。
仁志氏:小学生ぐらいでは女性の方が身体が大きい子も多く、悪くないと思う。野球教室なんかで「1番」を背負う女子選手を何人も見ている。ただ、甲子園とか色々と規制されていたりするので、あらかじめそういう面も考慮しておく必要がある。


Q3:自分は身体が小さいのだけど、大きい選手に対してどうやって不利な状況を克服できますか?
仁志氏:確かに身体が大きいと有利なことが多いが、そればかりではない。小さくても勝負できる部分を探していきつつ、自分の能力を伸ばしていかなくてはいけない。そもそも自分は不利だな・・・と思ったこと無いよ。


Q4:現役時代の、併殺シーンを何度も見てきました。一緒に二遊間を組んできた選手で組みやすかった選手は誰ですか?組みたかった選手でも。
仁志氏:川相選手でしょうか。とにかくあの守備に憧れていて、早く守備が上手になって、名実ともに組みたかった。。。。他では宮本も上手に併せてくれるタイプだったと思います。
《セルビー補足》
96年の入団1年目から活躍した仁志氏。96年当時は二塁ではなく大半(91試合)が三塁でした。
一方、川相氏は97年までがショートのレギュラーで、98年以降は控えになることが多く、この97年だけが仁志氏-川相氏の二遊間だったと思われる。


【所感】
聞いた感じですが、正直、それ程、「講演慣れ」はしていない感じでした。
「まあ~」とか「やっぱり」とか「そうですね。。。。」とか考えをまとめている最中に使うつなぎ言葉を沢山使ってしまっていました。これは本人言うところの準備不足だったのかもしれないですね。「話を用意する」ことと「どう話をする」のかは別次元の課題ですから。

それと「話にオチをつける」ような話し方もあまり出来ていなかったですね。最初に答え(オチ)を言ってしまうような話しぶりが何回かありました。
いずれにしても話す内容は「時間を気にしなくなるような内容」が大半だったので、もう少し回数をこなし、話す内容を話し言葉で整理するようになると格段と聞きやすくなるし、講演招致の件数が半端なくなるでしょうね。

ただ、「プロフェッショナル」「反骨」という著書を読んだ方はわかると思いますが、仁志氏の書かれている内容については、大きく頷けること、感慨深いことが相当量書かれています。

特に「プロとしてやるべき準備」というくだりは、野球だけの話ではないと痛感しているところです。

こういった講演会を何度もこなしていけば、そもそも話される内容は魅力的なので、講演そのものもどんどん魅力的なものになるに違いないと思いました。(少し上から目線ですみません。)


実は質疑応答の4つ目をしたのは自分です。でも、本当はそういった質問ではなく、「どうしたら横浜は強くなりますか?」を聞きたかったのですが、講演本体で「横浜の話は暗くなるんで」。。。と言われたので。。。。まあ、仕方ないです。


以上です。


今回、このような講演会があることを教えていただいた【AIKO】さん、本当にありがとうございました。

しかし、ランカスターのユニホーム持参は凄すぎます。笑

2011.1.11~12 人間ドック+α

祝日明けの1/11(火)~1/12(水)にかけて人間ドックに行ってまいりました。

僕ぐらいの年齢になると、「行かなきゃいけないかな?」と自分で言う前に、会社から「いっとけ!」と言われるので、有難いやら、(年齢を感じて)悲しいやら。。。。

検査は通常の身体測定的なものに加え、CTやエコーや内視鏡なんかもあってそれこそ2日がかり。普通に頼むと結構な金額なのだろうから、やはり有難いのでしょうね。とはいえ、やはりこういった検査は緊張するもんです。
血圧なんかもいつもより一割増しな気が。。。。苦笑。

結論から言うと、「痩せなさい」ということでした。それと少し胃の炎症が再発してました。
まあ、この年齢ですし、不規則な生活しているのだから多少は。。。。


そしてこの人間ドックですが、僕の住んでいる東京ではなく、伊豆にある病院に宿泊して行うんです。会社からすれば、「少し仕事のことを忘れてくれば」という配慮もあるのかな。そんなわけで伊豆の病院に宿泊したのですが、今年は運よく富士山ビューのお部屋。


セルビーのベイブロ

やはり富士山を見ると嬉しくなるし、日本人であることを実感する。

とりあえず先に書いたように、「概ね無事に終わり」帰路に。


でも。。。。


せっかくの伊豆。。。。


まっすぐは帰りません。笑。


例年なら「伊豆=お風呂」ということで近場の温泉やらを探すのでしょうが、今年は。。。。


大仁に行って来ました!


大仁って。。。


セルビーのベイブロ


そう!石井琢他が自主トレしている場所です。
去年は内川・梶谷もいたようですが、今年は横浜的には高森だけのようですが、病院から15kmぐらいの距離だったので。

ただ、検査が終わったのが14時。移動には車で30分はかかる。


間に合うかどうか微妙だったのですが。。。。

セルビーのベイブロ  セルビーのベイブロ

間に合いませんでした。泣。


玄関口に高級車が3台あったので、ホテル内にはいたようですが。。。。


ちなみに敷地はこんな感じ。


セルビーのベイブロ

野球場以外にもテニスコートやサッカー場もある。


セルビーのベイブロ テニスコート

セルビーのベイブロ サッカー場

色々な団体が利用しているんでしょう。


いずれにしても選手がグランドとかにはいないことは確定。泣


仕方ない。帰るか。。。。


と思ったら「日帰り温泉700円」という看板が!笑


ふふふ。宿泊セットはあるぜぃ!


ということで入浴してきました!


もしかしたら、宜野湾(ラグナ)、万葉の湯に続いて3回目の選手との遭遇となるか!?


はい。なりませんでした。苦笑。


でも。。。しっかり温まってきたもん!とか言ってみる。笑。


ただ、中の案内図を見ると、一般のお客さん用の大浴場と、選手が入る「団体用のお風呂」は別にあるようで。。。。ちなみにこんな感じ。(ここの画像はホテルのHPから。)


セルビーのベイブロ  男湯(日替わりかも)

セルビーのベイブロ  団体用

セルビーのベイブロ 水着のお風呂


そうそう。↑ここは水着で入る混浴風呂もあるようで。(入りませんでしたが。)


とりあえず、琢朗組がどんなところで自主トレしているのかわかったので、少しだけ納得。
(本当は高森君用に差し入れのお菓子を買っていったのだけど。。。。まあ、そのまま会社に持っていくことになりましたが。。。笑)


駐車場からもこうして富士山が見えたので、部屋からはもっとよく見えるのかな?


セルビーのベイブロ


1時間弱の滞在でしたが、ホテルを後にして、沼津へ。


沼津?東京とは反対側?


いいんです!


人間ドックの帰りは沼津に寄るって決まっているんです!


そう沼津港の「丸天」に寄るんです。


セルビーのベイブロ


人間ドックの帰りは「お風呂+丸天」が僕の中ではセットなんです。


そんなわけで今回は。。。。


じゃん!上刺身定食!!


セルビーのベイブロ

ブリやらウニやらサザエやら。。。。キューー!!
よくある甘エビも。。。。旨味が濃かった。。。。


大仁では選手を見ることも出来ず、帰り道は真っ暗で富士山も見えなかったけど、気分よく帰ってこられました。


ちなみに帰りの高速道路でのBGMはハードロックでもなく、ハワイアンでもなく、ユニコーンにしました。V(^^)


また来年の1月です。来年は大仁に前泊してから人間ドックに行こうかな~。