●私の人生と価値観を180度変えた5つのもの~マヤ暦アドバイザーへの道(4)

 

 

こんにちは、マヤ暦アドバイザーのRumikoです。

 

 

 

先日から、

 

わたしのこれまでの経歴と、

 

人生を180度変えた5つのもの、

 

そして、「わたしの本当の役割」となった」「マヤ暦アドバイザー」に至る道について、

 

お話しさせていただいております。

 

(3)では、受験に失敗したうえ、

 

生みの親から見捨てられたところまでお話ししていました。

 

今回はそのつづきです。

 


 

大学入学までに、育ての父は亡くなり、

 

育ての母は心臓病で入退院を繰り返していました。

 

収入は、私が高校時代まで受けていた奨学金と、国民年金のみ。

 

もともと高卒で就職予定だったため、奨学金の申請もしていませんでした。

 

 

滑り止めの大学に通うことになった私は、

 

自力で、家族ふたりの生活費と学費を稼ぐことになりました。

 

 

しかし、「奨学金なし状態で働いて、単位を取る」生活は長く続きませんでした。

 

朝起きる→大学→昼休みと空きコマは、学校そばの食堂でバイト→学校終わったらパチンコ屋で深夜までバイト

 

土日休みは全部パチンコ屋と、あやしいレンタルビデオ屋でバイト

 

風呂ナシ台所トイレ共同・カギなし・築50年・家賃1万円

 

食事はバイト先のまかない

 

テレビなし冷暖房なし

 

 

月に20数万のバイト代がはいりましたが、

 

実家に仕送りをして、学費を取り分けると、ほとんど残りませんでした・・・

 

重ね重ねアホなことに、

 

大学2年に上がるまえに、奨学金の申請期限を忘れてしまい、

 

翌年も極貧生活に突入、

 

バイト中心の生活になってしまったため単位は落としまくりました。

 

そのころ、バイト仲間で、なぜか奇跡的に、

 

同じような苦学生の彼が出来ました。

 

彼との短い時間は、殺伐とした生活のオアシスでした。

 

 

 

 

しかし、彼は友人のバイクで事故を起こし、

 

還らぬ人となりました。

 

 

 

 

大学2年も終わろうとしたころ、

 

育ての母が大手術をすることになりました。

 

「あと2年、こんなバイトしながら頑張れるのか」

 

 

わたしのなかで、答えはNOでした。

 

ちっとも楽しくない大学生活に別れを告げ、

 

わたしは「タウンワーク」で、

 

目をつぶって開いたページに載っていた会社に就職しました。

 

就職氷河期だから

 

「選んで受けても、内定もらえない。そんなくらいなら手あたり次第受けたほうがいい」

 

と思っていたのですね。

 

(最近は、スピリチュアル的なYouTubeでも、【職を選ばず働けば開運】なんて言っていますね)

 

 

これが、絵にかいたようなブラック企業でした。

 

 

 

 

お金だけを追うと、時間と心が死ぬ。

 

目先のお金だけ見ると、先の未来が壊れる。

 

自分のしたくないことをしているうちに、人生はどんどんめちゃくちゃになる。

 

 

 

したくないことを、

 

自分以外の誰かのためにし続けて、

 

自分を置き去りにしていた私。

 

 

 

 

 

 

 

「望んでないことを夢・目標にし、本当の望みを殺しながら生き、大切なものを無くした経験」は、

 

わたしの人生を大きく変えた5つの出来事のうちの、四つ目です。

 

 

(つづきます)