●私の人生と価値観を180度変えた5つのもの~マヤ暦アドバイザーへの道(2)

 

 

こんにちは、マヤ暦アドバイザーのRumikoです。

 

 

 

前回から、

 

わたしのこれまでの経歴と、

 

人生を180度変えた5つのもの、

 

そして、「わたしの本当の役割」となった」「マヤ暦アドバイザー」に至る道について、

 

お話しさせていただいております。

 

(1)では、ビンボーな親戚の養子となったところまでお話ししていました。

 

今回はそのつづきです。

 

 

わたしがもらわれた家は、

 

「(育ての)お父さん」「(育ての)お母さん」「おばあちゃん(育ての父の母)」

 

がいました。

 

 

おばあちゃんは、すでにねたきり、

 

お父さんは、こまったことに

 

「元・○○○の舎弟」で「体には、絵だらけ」、

 

「手の指がたりなくて」、

 

足を洗っても、見た目のせいでよい仕事につけません。

 

期間工や、日雇いとして働き、

 

稼ぎはすべてお酒に消えていきました。

 

 

 

お母さんも、こまったことに、

 

戦時中の生まれで、学校に行けなかったため読み書きがほぼできず、良い仕事に着けません。

 

おまけに、お父さんが「異常なヤキモチヤキで、お母さんを家から出したくない」ため、

 

外で働くことを許しませんでした。

 

 

そのせいで、いつも貧乏極まりない生活を強いられてきました。

 

(秋だけは、お父さんが鮎釣り漁をしていたので、少しだけましな暮らしができました)

 

 

 

あまりに貧乏で、

 

家にお風呂がなく、7~10日に1回、やっと銭湯に行けるような状態でしたから、

 

学校では、クラスメイトからもさんざんいじめられ、

 

先生からも「キタナイ」といわれつづけました。

 

 

 

家にかえって、お母さんに「いじめられたつらさ」を訴えたこともありました。

 

 

しかし、お母さんの答えは

 

 

「貧乏人だから、差別されても仕方がない。長いものには巻かれておきなさい」

 

 

「嫌なことをされたのが、自分だと思うからツライの。

 

この世は、ただこの体を借りているだけだから、

 

本当の自分は、自分の体の中にはいないんだよ。

 

ケセラセラだよ、なるように、なっていく。

 

 

差別されてもされなくても、自分にはかわりない」

 

 

 

でした。

 

 

 

このころのわたしは、もともとコミュニケーション能力が乏しいうえに、

 

「人は助けてくれない」

 

と信じている、かわいげのないこどもでした。

 

 

そして、本体のわたしは、私の体の中にはなくて、

 

いつも「私の体がどう動いて、何を話すか」を、

 

斜め上から見下ろしている側だと感じていました。

 

 

ずっとずっと、この不思議な感覚は続きました。

 

 

家族との関係、学校でのいじめの経験で

 

「自分の本体が、別のところにある感覚」に気づいたのは

 

わたしの人生を大きく変えた5つの出来事のうちの、二つ目です。

 

 

(つづきます)