ら抜き言葉に対して賛否両輪あるようですが、あなたはどう思われますか。
「られる」には3つの意味があり、時として特定できないことがあります。
例えば「見られる」といった場合、これだけでは「られる」が持つ、尊敬、可能、受け身という意味全てが当てはまるでしょう。
もっとも、実際の会話では補足する言葉があったり、前後の状況からきちんと意味を特定できる場合が多いでしょう。
もし、ら抜き言葉である「見れる」を正式語とすると、これは可能の意味となり、「見られる」の意味の可能性は2つに減ります。
同音異義語は、誤解をできるだけ避けるという観点からだけでは、少ない方が良いでしょう。
ら抜き言葉を、日本語の乱れという点から否定されることがあります。
しかし、言葉は生き物で、常に変化して行くことは避けられないでしょうし、今は間違った用法でも、それが定着すれば正式語となることはあるでしょう。
例えば、「全然」という言葉も正式の用法は否定表現ですが、明治時代には肯定表現でもかなり使用されていたようです。
それが、昭和中期に肯定表現は減ったのですが、最近復活して来ているようです。
このように言葉は変化するものですし、それが面白い点だと思います。