また書くのに時間がかかり過ぎて遅きに失した感がありますが…書きます。
昨日から他のを読んでないので状況の変化が有ったらすみません。。
私は過去の記事で「人は変わるもの」と書いたことが有ったと思います。
ひとつは「成長」
様々な経験や学びを経て、考え方が変わっていく。
ひとつは「アップデート」
世の中の価値観の変化と照らし合わせ、自身の価値観も更新していくべき。
もうひとつは「改善」
意見や価値観の衝突から「他者への配慮」を取り入れていく。
でも「譲れないもの」「変えられないもの」を無理に変える必要はないと思っています。
大切なものは人によって違うのだから。
ただその「変えられない」理由は気になるところですよね。
人に意見するのって、少なからず変化を期待しているはず。
相手に理解してもらいたい、自分も理解したい。
①相手の考えを変えてもらうのか
②自身の考えを改めるのか
③間を取るのか
④棲み分けるのか
それは場合によりますが、まずは意見を出し合い価値観の擦り合わせをすることから始まりますよね。
擦り合わせた上で譲れない場合は①を相手に求めることになります。
揉める事も想定されるでしょう。
だから意見する側は、揉めることも想定して発するべき。
話を大きくしたくないならメッセージで個別にすればいいし、穏便に済ませたければ相手の主張を熟読した上で必要な説明を尽くす必要があると思います。
誰しも揉めたいと思っているわけじゃない。
揉めるのを覚悟しているだけです。
揉めたくないから自分へ投げかけられた意見には向き合おうとします。
分かってもらいたいから相手の言い分もなるべく分かろうとします。
分かろうとしたけど分からなかったから疑問を投げかけて説明を求めるんですよね?
全体公開の記事で書くと言うことは、様々な反応も想定した上ですよね?
「そんなつもりじゃなかった」
「誤解された」
「決めつけられた」
それは想定が足りなかったということです。
思わぬ反応にはショックを受けますよね。
大手になると賛同者も多いけど、価値観の異なる人に読まれる機会も増えますし、全てに配慮した記事なんて不可能ですよね。
でも考え得る範囲で様々な反応を想定して、これは絶対に大丈夫!と熟考した上で発したものだったのでしょうか?
対象者が明確で誤解を生まないか想像しましたか?
そして意見を返してきた相手はあなたを傷付ける事が目的だと本当に思いますか?
多くの人はショックを与えたくないですし、変な伝わり方をして揉めるのも望みません。
書く人は、それでも譲れないから書いていると思っています。
譲れない理由も述べていると思います。
そしてその人の根本的な考え方や価値観は複数の記事に散らばっています。
読む人は、散らばった価値観を拾い集めてその人を判断していきます。
「たまたま目にした」その記事にだけ意見を述べているつもりでも、それはその人の切り取りを見て意見していることになるし、他に同じようなことを書いている人全員を対象者にすることになります。
だってあなたがどの記事を読んでいるか知らないですから。
揉めたくないなら、対象者を絞る書き方にする配慮が必要だと思います。
そして、記事リンクを貼るという行為について。
相手の言葉を貼ってそれに反論するのは構わないと思います。
どこをどう感じたかご自身の主観を述べているだけなので。
でも相手の記事リンクをそのまま貼るというのは、読者が見に行く範囲を狭めてしまうので、公平な判断をする機会を奪っている様に思います。
こちらの記事で似た様なことを書いていますが、人はそれぞれ大切なものが違います。
だからその人の正しさの基準も異なります。
誤解を生みたくなければ、その価値観を普段から明示しておかないと分かってもらえないし、明示していても伝わっているとは限らない。
でも逆にずっと見てきている人もいる。
冒頭で書いた様に意見や価値観が変わるのは普通のことです。
でも普段から言ってることと違うことをされると疑問を抱きます。
「やり取りはメッセージで」
「共感できないなら見なければいい」
「アンチ以外は批判しない」
「幸せな記事だけ書く」
「これで最後にします」
私はそれらの主張を見てきたから、ちょいちょい疑問を抱いています。
基本的には揉めたくはないので、黙っていることも多かったけど、揉めても仕方ないと思ったら書きます。
たとえ当事者じゃなくても、大切に思う人が傷ついたら私も傷つくので。
「批判ブロガー」の範囲がどこまでだったのか分かりませんが(私は間違いなく含まれると思いますが)、“音楽を語らず他ブログを批判している人”と捉えてしまう書き方だったと思います。
上記に該当する人で、平和にポジティブなことだけを書いてくれている人を批判したり揶揄したりしてた人がいましたか?
基本みなさんそういう人も大切、感謝してる。と書いていたと思います。
相手へのリスペクトが有ったと思います。
「批判ブロガー」と呼ばれる側も目的があって書いています。
その目的と手法に関して思うところもあると思いますのでご意見は受け止めます。
でもそれで自分が変わるかはその時の判断ですし、反論したければします。
アメブロで色々あったこと、全てを見てきた訳ではないですが、ある程度は知っているつもりです。
これまで声を上げてくれた人が大変な思いをして今の状況まで落ち着いたということも分かっています。
それはとても感謝している。
これまでの経緯から、考え方が変わったのも納得できる。
でも、これまでと同様に注意喚起や危険因子の注視も続けておかないとまた同じような事が起きてしまう。
「アンチが居づらい場所にしておくこと」
それも同時進行で必要だと思います。
「批判ブロガー」という呼び方は、棲み分けをして自分にできることをしているつもりだったところに、横槍を入れられているように感じました。
対象も曖昧だから、自分のことか?と重く受け止めてしまった人もいるでしょう。
思っても黙っている人も多いと思います。
これまでも意見の相違によるぶつかり合いは有りました。
それでも傷付けてまで言い合いたい人はそんなに多くないと思っています。
腑に落ちていなくても意見は伝えたからいいや。
で引き下がる方が多い印象です。
感情論を出されると畳み掛けづらくなりますしね。
それでも、次が無いようにというのは期待はしてしまいますよね。
誤解を生む表現をしたことで揉めたという点については自分にも非があったと認識して終わっていますので、次が有ったとしてもは誤解させない様に気を付けてくれるだろうと。
でも、何度か同じ様な事が起きています。
そしていつも時間が経てば経緯よりも「お互いに傷付いた」という印象だけが残っていきます。
でも覚えている人は覚えています。
その時の「次への期待」も一緒に。
そうやって過去の経緯まで踏まえて話している人と、今起きたことについてだけ話している人では受ける感想が違いますよね。議論の論点も違ってしまう。
前者としては期待が裏切られたように感じます。
でもやはり積極的に揉めたい訳ではないから違和感が有っても飲み込んでしまうのがほとんど。
そうやって飲み込んだ違和感や裏切られた感が片方だけに蓄積されていくんです。
大手アカウントになると私には想像できないくらいの大変さが有るのは理解できます。
でも大手になってしまったんだから。
発信したことがどこまで届くか、その中に言及した対象を勘違いしてしまう人はいないか、なるべく想定してほしい。
想定が足りなくて誤解を与えてしまったと知ったなら受け止めて次に活かしてほしいですし、それでも変えたくないことなら揉める事も覚悟の上で発信してほしい。
大手だからこそ、自身が関与しないことに安易に首を突っ込まない様に自衛してほしい。
これが私の気持ちです。
