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『逃げる』という言葉は、一般的には否定的な響きを持っているように思う。逃避・逃走・逃亡に始まり、『逃げ帰る』・『逃げ落ちる』・『逃げ失せる』・『逃げ果せる』等どれも、後ろ向きのイメージが強いのではないだろうか?
昨年の震災以降、私は通勤でジョギングを始めた。歳のせいか、体内の代謝のが遅れて、若干体が重くなった事にも起因しているのだが、第一の目的は、『逃げる』力を付けねばと強く感じて始めた事なのだ。
私が被災したのは、自宅から50km程離れた出先であった。家族の安否を尋ねようと電話を駆使するが繋がらず、結局家族の安否も判らぬままに、一夜を自宅から遠く離れた場所で過ごすこととなった。
交通機関の復旧を待ち、ようやく自宅にたどり着いたのは、被災してから実に20時間近く経過してからだった。勿論その間に食事や仮眠を摂っていたが、被災後に歩いてでも帰途についていたのであれば、その半分で帰宅を果たし、余震に怯える子供たちを安心させてあげられたのでは、ないだろうか?
そして決定的だったのは、後日何時まで続くか判らぬ恐怖に耐え得る蓄えの有る人々は海外へ逃亡したと聞いた事だ。政府や偉い人たちは、今回の震災被害を目の当たりにしても尚、『想定外』・『原発は安全』等と悠長な事を言っている。
『お金の有る人は簡単に逃亡できるが、私とその家族たちは、どのように身を守れるのだろうか?』そして、『真剣に逃亡する手段と方法を考えよう』と思い立った事が、『逃亡肯定論』であって昨年始めたジョギングを始めたきっかけだった。
自然の猛威の前で、それを押さえつけようとか、理屈で納得しようとするよりも、逃避・逃走・逃亡の『逃げ帰る』手段と、それを実行する体力を付ける事の方が賢明だろう。実際に自然を押さえつける事は『不可能』で、そのような考えを持った人間の考える理屈は、自然に対しては、余りにも無力なのではないだろうか?ひとくくりに言ってしまえば、『オゴリ』の塊のような人達であり、そんな人達に自分の人生や家族を委ねられないと思うのである。
そして有り余る金銭を稼ぐ方法を考えるより、体力を付ける事は、今日から始められるより確実な方法であると思うのである。
『逃げるが勝ち』とは、自然界の中で生かされている生き物全てに共通する格言の一つではないだろうか?
Nick





