ここしばらく
心が本当に喜ぶということが
少なくなってきている気がして

実は
ずっとそれが気になっていました

今は、たまたまそういう時期にあるのか
自分の思いに、間違いやズレがあるのか
或いは、何か具体的な原因があるのか

などと模索し続けるも
その何れかなのか
その何れでも無いのかさえも
はっきりしないままです

神戸滞在は
紛れも無く有難い時間であり
楽しい時間ではあったはずですが

心が深いところで感じるという
体験が少なかったのは
私自身におそらく問題があるような…

感度、感覚が鈍ってしまったとか
心が固くなってしまっているとか

美味しいものをいただいたり
楽しい出来事に巡り会ったり
好きな物に触れられたり

そんな時にも
心の深いところでは
喜びを感じられていないのでは
と思うことは
心さみしいものでした

一体私はどうしてしまったのか
と思えるほど
何処へ行っても、何をしても、何を見ても
戸惑いすら感じてしまいました

思い当たる節は
幾つかあるにはあるのです

それはまず
母を施設に入れて
自分だけが楽しむという罪悪感があった事

もうひとつは
ずっと2台ピアノ合わせが
神戸滞在の目的の中心となっていたのが
今回はその時間が無かった事
それにより充実感が得られない事

このふたつは
大きな要因になるとは思いますが
これが全てだとも
言い切れないような

目に見えない何かが
もやっと心にかかってしまったような
そんな不快感もあるのです

そんな中
唯一はっきりと
心動かされた場面もありました

それは
列車に乗っていて
視界に海が飛び込んできた時です

これはもう何度も経験している場所で
どの辺りからその光景が広がるのか
そのタイミングも熟知した上でですが

その美しさ、静けさは
これまでと変わること無く
無条件に私の心を捕らえました

その瞬間
私もまだこんなに感じらると
思わず嬉しい気持ちなりました

結局のところ
わたしの心が奥底から喜べないのは
何に起因するのか不明のままですが

ピアノに向かう時
美しい自然に触れるときは
確実に
自分の心に喜びと潤いを得られる
という事も判り

そして今日も
母の顔を見られた途端に
心が満たされるのを感じられました

今私が安心出来るのは
音楽と自然と心の求めるもの

心が喜ばない時に
そこを無理に追求せず
心喜べる事を大切にしたいと思います


だからきっと私の心も大丈夫