これまで何度も読んできた

晴佐久昌英神父さまの

「病気になったら」を

私は入院中

我が身に置き換えて

改めて読み返してみました



晴佐久神父さまのこの詩は

どれだけの人を励まし、癒し

救ってきたことでしょう



そしてこれからも

多くの病める人々の

大きな心の支えになることと

信じています




「恵のとき―病気になったら」

晴佐久昌英



『病気になったら』


病気になったら、どんどん泣こう

痛くて眠れないといって泣き

手術が怖いといって涙ぐみ

死にたくないよといって、めそめそしよう

恥も外聞もいらない

いつものやせ我慢や見えっぱりを捨て

かっこわるく涙をこぼそう

またとないチャンスをもらったのだ

自分の弱さをそのまま受け入れるチャンスを



病気になったら、おもいきり甘えよう

あれが食べたいといい

こうしてほしいと頼み

もうすこしそばにいてとお願いしよう

遠慮も気づかいもいらない

正直に、わがままに自分をさらけだし

赤ん坊のようにみんなに甘えよう

またとないチャンスをもらったのだ

思いやりと  まごころに触れるチャンスを



病気になったら、心ゆくまで感動しよう

食べられることがどれほどありがたいことか

歩けることがどんなにすばらしいことか

新しい朝を迎えるのがいかに尊いことか

忘れていた感謝の心を取りもどし

この瞬間に自分が存在しているという神秘、

見過ごしていた当たり前のことに感動しよう

またとないチャンスをもらったのだ

いのちの不思議に、感動するチャンスを



病気になったら、すてきな友達をつくろう

同じ病を背負った仲間、

日夜看病してくれる人、

すぐに駆けつけてくれる友人たち

義理のことばも、儀礼の品もいらない

黙って手を握るだけですべてを分かち合える

あたたかい友達をつくろう

またとないチャンスをもらったのだ

神様がみんなを結んでくれるチャンスを



病気になったら、必ず治ると信じよう

原因がわからず長引いたとしても

治療法がなく悪化したとしても

現代医学では治らないといわれたとしても

あきらめずに道をさがし続けよう

奇跡的に回復した人はいくらでもいる

できるかぎりのことをして、信じて待とう

またとないチャンスをもらったのだ

信じて待つよろこびを生きるチャンスを



病気になったら、安心して祈ろう

天にむかって思いのすべてをぶちまけ

どうか助けてくださいと必死にすがり

深夜、ことばを失ってひざまづこう

この私を愛して生み、慈しんで育て

わが子として抱き上げるほほえみに

すべてをゆだねて手を合わせよう

またとないチャンスをもらったのだ

まことの親である神に出会えるチャンスを



そしていつか、病気が治っても治らなくても

みんなみんな、流した涙の分だけ優しくなり

甘えとわがままをこえて自由になり

感動と感謝によって大きくなり

友達に囲まれて豊かになり

天の親に抱きしめられて

自分は神の子だと知るだろう

病気になったら、またとないチャンス到来

病のときは恵みのとき