日曜日、母に付き添って、先週撮ったMRIの
診断結果をききに、クリニックに付き添っていった。

今回お世話になった脳クリニックの最寄駅は大宮駅。
新幹線の止まる駅だから、人の往来はかなり多い。

・・・と、改札でアラームが鳴った。
見ると母がsuicaをセンサーにちゃんとタッチしていない。
母の後ろにはどんどん人が溜まってしまう。
母がsuicaを持つ手をポンと軽くたたいてセンサーに押し
つけ、事なきを得た。

だが、母はこれが気に入らない。
今日の大宮駅の改札は変ね!!

電車     電車    電車    電車    電車    電車

大宮駅は周辺も結構繁盛していて、裏道でも
チョコチョコ車が通る。そんな道を母は、買い物カート
を頼りにひょこひょこと歩く。
しかも、「歩きやすいから」と道の真ん中を!

さすがに腰の曲がったバァさんに対してクラクション
を鳴らす車はないけれど、明らかに運転者が苛々
しているのがわかる。
私はドライバーの気持ちもわかるので、母を道路の
端のほうへ引き寄せる。すると、それもご不満。

何で私が端に寄らないといけないの?

くるま。R    くるま。R    くるま。R    くるま。R    くるま。R    くるま。R

何とか無事クリニックに着き、先生のお話をうかがう。
診断は、「結果良好!」以前患った脳梗塞は変化なし!
新たに出現した脳梗塞(-) 出血(-) 脳腫瘍も(-)
悪いことはぜ~んぶネガティブというポジティブな結果にこ

それは良かったのだが、先生から、
「お母さん、血栓予防の薬も服用しているよね?」
と言われて答えられなかった。
母は元気なのが取り柄、これといった内臓疾患はない。
加えて、この3年半は自分の病気のことで精一杯だった。
それで母の服用している薬など気にもとめていなかった。
そうしたら、ドクターに
「あんた、知らないの?把握してないのっ
と叱られてしまった。
ごもっとも。自分の病気は落着いているから、これからは
母のことをケアしなければならない、と猛反省・・・反省

sei    sei    sei    sei    sei    sei

クリニックからの帰り、またまた、大宮駅改札でひっかかる。
「さっき言ったばかりなのにナ」と思いつつ、
「ママ、センサーから離すとうまく反応しない事があるよ。
タッチすればだいじょうぶだからね。」と手をそえて
タッチして通過。

そして、10分ほどで家の最寄り駅につく。
そうしたら、改札口で再び “ピンポ~ン”赤ランプ 
母は、またまた、センサーから離してsuicaをかざし
アラームが鳴ったのであたふたしている。
日曜の夕方なので結構駅利用者は多く、母のうしろには
人がどんどんたまってくる。
「ママ、タッチよ、タッチ!タッチして!!」
と言ったら、何かの拍子にセンサーが反応して通過
できた。 ホッ 

いぬごや    いぬごや    いぬごや    いぬごや    いぬごや    いぬごや

家に着いてから、まだ母は文句を言っている。

今日の駅の改札は変だったわ。ピンポ~ン なんて
音が鳴るから、慌てるし、恥ずかしくなっちゃう


とご立腹。そこで、駅の改札はセンサーになっていること、
センサーは機械なのだから指示通りにしないと誤作動
すること、改札の機械にも“タッチしてください”と書いて
あることなどを話した。
そうしたら、それが気にいらなかったらしい。
猛然と、

私はいつもちゃんとやっています。誤作動は機械が
悪いのよっ!!


そして、怒りの矛先は私にも向けられ

あなたはいちいち私のすることにケチをつけて、車なんか
来ていないのに歩きにくい道路の端を歩かせたり、
機械が悪いのに私のsuicaの扱い方が悪いとかっ


いいえ、別に私は、ママのすることにケチをつけてはいません。
背後から車が来ているのが見えたから道路の端に誘導した
だけです。
だいたい、人生80年以上無事に生きてきたのに、車の
警笛に驚いて転んで怪我したらつまらないでしょ?

改札の機械だって、suicaをかざすのを一歩進めて、物理的に
接触させるのはそんなに大変じゃあないでしょ?

と諭すのだが、母の口撃はおさまらない。
私も怒りがふつふつとわいてきて

もういいっ。ママとは一緒に外出しませんからねっ!!

とやってしまった。そして、半日ほど口をきいていない。

                   

私は、母に謝罪など要求していない。母は何も悪くないのだから。
私が欲しかったのは、たった一言

“今度からそうしようね!”

だが、いくら車が背後からせまっていて母に危険があったことを
説明しても、いくらセンサーの仕組みを説明しても、母は、ますます
態度を硬化させるばかりで、理解をしめそうとしない。
とうとう、

“今度からそうしようね”

ということばは聞けなかった。

                   

妹とは普段離れているからか、比較的素直に言うことを受け入れる
らしい。しかし、私とは一緒に生活しているからか、それとも病気の
時に面倒をみたという自負があるからか・・・私の言う事は頑として
聞いてくれない。

私はおかげ様で病後の経過は主治医が喜ぶほど順調だが、それ
でも体力は病気前の70%くらいだ。それに加えて加齢による体力
低下もある。年老いた親の安全を確保して付き添うのもいっぱい
いっぱいなのだ。それなのに、いちいち抵抗されたのでは、私も体
がもたない。

「母と暮らせば・・・」
映画のように愛情タップリ、ほのぼのとはいかないのである 
涙