こんにちは。
笑いと癒しの音楽クリエイター、セシリアみつよです。
いつも読んで下さって、どうもありがとうございます。
年賀状。みなさんはいかがですか
「あ~、長い間会ってないわ~」
と、年賀状を見るたびに思う人、いらっしゃいます…よねきっと。
私も、大学卒業してしばらくは、高校時代の友達と年に何回か会っていました。
高2で一緒のグループになった5人なんですが、それからも仲良く、たまにそのメンバーの中の誰かの家で、女子トークしたり。
でも、皆結婚して、子どもも生まれて…で段々年賀状だけの行き来になってしまいました。
わしらはいつも、友達にゃ…とかいうてるんかな笑
同じく、師事していた先生方とも、年賀状だけのお付き合いになってしまいました。
その中で、お年賀状を送ると、今も返して下さる先生があります。
ウチの亡き母と同い年なので、かなりのご高齢です。
昨日の記事に登場した、大学の時の先生、作曲家・物部一郎先生です。
いや、私はいっつも怒られてばっかりだったんですけどね。
「キミは、やれと言われた事しかしない」 みたいな。
おっしゃる通りだと思います。
先生が当時執筆されていた『和声学』の本。
まだ原稿段階の時、
「ちょっとおさらいと思って、やってみなさい」 と渡されました。
楽しいなと思える和声学を目指されてる、とおっしゃっていました。
いや~…。
私自身は、和声学とか対位法を学ぶのは好きなので、どんな本でも面白いけど、苦手意識のある人には何をしても面白くないのでは。
完成されて、厚い布張りの(金文字の)本になってから、丁度作曲科に行きたいと言う子を教えていたので使いましたが、後半部分、とんでもなく難しかったです。
私らがモニターみたいに問題解いてたところは、前半の後半部分まででした。
ひたすら問題に向かっていたら、
「キミは、いつまで和声学ばかりしてくるんだ
いい加減、何か曲を書いてきなさい」 と、叱られてしまいました。
こわもて…
昨日も書きましたが、今はご高齢だからわからないですが、お若い頃は、須慎一郎さんに似てはりました。恰幅は今も変わらないと、お噂は聞いてるので、コワモテのままか
グラサンしてたら、そこらにいるチンピラなどは、道をあけて礼するんちゃうか言うくらい。
もう1人2人、音楽科の先生で、見た目そっち系の先生がおられ(どんな大学や。国家公務員やんな~)、3人学食でグラサンして座ってはったら、その周りだけ学生はいませんでした。
でも、恐いだけではなく、優しい面がおありで、不器用なんかなぁ。
1回生の時、母校の高校のコーラス部が、うろ覚えですが、旧帝大とか、国立大学に受け継がれている寮歌のイベントに、混声合唱で出る事になりました。
ロビーには、昔のバンカラな学生服を着たおじいちゃんたちが、いっぱいいてはりました。
私は大学生でしたが、「ピアノをみつよさんに」と言われて、『高校の制服』を着て出ました。
プログラムには、割と大きく名前も載っておりました。
その時の、仕切ってはった方が、物部先生でした。
最後にコーラス出場者全員で、寮歌メドレーを歌う時、物部先生が指揮をしてはりました。
私はその真ん前にいて、ちゃっかり高校生として歌っておりました。
真ん前にいてるし、いつ「何でおるねん」とツッコまれへんか、ビクビクしてました。
だって、見た目コワイねんもん。
バレずに終わり、約3年後の4回生の時。
ある日のレッスンの時。コンコン、とノックしてお部屋に入りますと。
「あ~、みつよちゃん。 僕な、この前面白いもん見つけてんで。
3年位前に、旧帝大とかの寮歌のイベントあってんけどな。
そのプログラム出てきて、懐かしいな~と思ってパラッと見てたら、アンタの名前があってん。
ビックリしたわ。あれに出てたんか」
「はい。出てました。伴奏で。
高校の制服がまだ家にあったんで、それを着て」
「いや~、わし、全然気ぃつけへんかったわ。ホンマか
全員の合唱の時も、おったんか」
「いましたョ。先生の真ん前に。 何回か、先生と目が合いましたョ」
「ホンマか~。全然わからんかったわ~」 と言う会話が。
いつもより、和気あいあいでした。
つづく
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