昨日の記事で放デイの見学に行ったことを書きましたが、来月は小学校入学を見据えた発達支援セミナーに行く予定です。

 

そろりそろりと、自閉っこ姫しーちゃんの入学準備が始動しています。

 

学校の選択肢としては、支援学級か支援学校の二択になります。

 

しーちゃんは身辺自立は比較的進んでいるので、ふつうに考えれば支援学級が妥当と思えますし、療育先でもそちらを進められています。

 

なのですが、私の中ではいまだ、支援学校という選択肢が抜け切れていないのです。

 

理由は以下の二つ。

 

  1. 支援学校のほうがサポートが手厚く、専門性も高い
  2. 疎外感

 

まず1について。

これはそのまんまですが、支援学級は学校や教師によってかなり障がいへの理解にばらつきがあると言われます。

心配性の私としては、あまりに不確定要素が大きすぎる。ひらたく言えばギャンブルじゃないですか。

 

万一ハズレだったとき、しーちゃんと私にかかるストレスと労力とダメージの大きさを考えると、最初から支援学校にしたほうがいいんじゃないかと思うのです。

 

そして2について。

これは何かというと、定型児が圧倒的多数派である普通の小学校という場における、支援学級というものの在り方についてです。

 

支援学校は障がいのある子が隔離・排除されている、インクルーシブにすべきだというのが世界的な流れだと思います。

 

でも私の目から見ると、支援学校って障がいがある子の集まりなわけで、つまり障がいがある子のほうが“普通”でありスタンダードなわけです。

 

それに対し、ふつうの学校ではあくまで定型児がスタンダードであって、障がいのある子は非スタンダードな存在です。

支援学級の子たちは圧倒的多数派である定型児たちの中で、自分たちが異質な存在であることを常に意識せざるを得ないのではないでしょうか。

 

「どうして自分はみんなと一緒に授業を受けられないの?」と言われたとき、なんて返せばよいのでしょう?

私はそれこそ、学校という本来インクルーシブな場のなかで、支援学級という場に“隔離”されているように感じてしまう。これが“疎外感”の意味。

 

支援学校という障がいのある子こそがスタンダードという場のほうが、しーちゃんは自己肯定感をもって伸び伸びと過ごせるのではないだろうかという思いが消えません。

 

そしてこれは就労の場でも同じことが言えると思います。明日に続きます。