今日は子育て論のようなものを書いてみたいと思います。

 

ちまたではこのところ、“叱らない子育て”がはやって(?)いるようです。

 

私もある意味では叱らない子育てをしています。

しーちゃんも妹ちゃんも、ダンスの中から物を引っ張り出してまき散らすのが大好き、しーちゃんはキッチンペーパーを片っ端から引きちぎっては投げ捨てるのが大好き、箱ティッシュは中身を全部取り出すのが大好きで、片付けが大変な上に不経済なので、現実には叱りたいことだらけです。

 

私は4歳半のしーちゃんには「ティッシュ出さないよ」と注意はしますが、叱りつけたりすることはありません。もうすぐ2歳の妹ちゃんは注意せず好きなようにやらせておきます。

 

その理由のひとつは、うちではモンテッソーリ教育をとりいれるようにしているためです。モンテッソーリでは、物を引っ張り出すのは子どもが「探索期」にいるためと考えるので、成長に必要な段階だから好きなようにやらせておくのがいいとされています。妹ちゃんはお皿を割るのも得意ですが、これも悪意でやっているわけではないので𠮟りはしません(うあああ~ガーンとはなりますけど)。

 

ただし、もう4歳半のしーちゃんはもうやってはいけないことを理解しなければならない年頃ですので、ダメなことはダメと注意します。まあ、ダメと言われてもしーちゃんはキャラキャラ笑いながらやり続けるので、言ってもムダではあるのですが、いつかわかってくれる日を信じてムダは承知で注意します。

 

注意するときは、頭から否定するのではなく、「●●だからダメなんだよ」とダメな理由を説明します。

言っても言ってもしーちゃんはどこ吹く風なので、もうムダな労力を使いたくないわゲッソリと絶望感に襲われることもしょっちゅうですが、自閉っこだからといってしつけをあきらめたくはありません。もう執念でやっています。

 

もっとも、今のしーちゃんは前述のとおりやってほしくないことしかしません泣くうさぎ

結果的にダメダメばかり言っていて、これでいいのかと悩むところではあります。

本を読むとか字の練習をするとか、有益なことにしーちゃんの関心を向けさせるにはどうすればいいのか試行錯誤の毎日です。

 

私が思うに、叱るというのは、ただ迷惑行為をやめさせるだけのものではなく、「子どもに道理を教え、わからせる」という大切な面があると思うのです。

たとえば電車で子どもが土足でシートの上で跳びはねている光景を見たことがありませんが、そばで見ている親は叱らない子育て派なのか、一切注意していませんでした、でも、親が「シートの上には土足で乗ってはいけないんだよ。汚して他の人が困るからね」と教えてやらなければ、その子はずっと知らないままです。

 

子どもが他の子を叩いたとき、「お友達を叩いてはいけないよ」と教えてもらわなければ、その子はずっと知らないままです。

 

だから私は“𠮟らない育児”は“教えない育児”だと思います。

 

知らないを積み重ねていけば、常識やマナー、心遣い、思いやりなどが身につかないまま大人になるでしょう。そういう人は周囲から好かれないので、結局は子どものためにならないと思います。

 

だから私は今日も、しーちゃんがティッシュを箱から引っこ抜くたびに「もったいないよ」と注意します。

疲れるけども汗