昨日の記事の続きです。
ファシリテイテッド・コミュニケーション(FC)は、介在者の意識的・無意識的な誘導が生じるおそれがあるため科学的な手法とはいえないという批判があります。
誘導とは、介在者が文字盤で指差してほしい文字に本人の指を近づけたり、本人が指差した文字を介助者が恣意的に意味づけしたりなどです。たとえば、本人が「う、き」と続けて指差した場合、これはきっと「すき」とつづろうとしたに違いない!→明らかにママへのメッセージだ!→「ママ好き」と言いたかったんでしょ?そうだよね?というように。
自閉症の特性上、FCの科学的な検証は困難だと思います。介助者が母親だったらできるけれど、第三者だったら全然できない、自宅ならできるけど学校ではできないということは自閉症児なら当然ありえますが、なぜ母親なら、自宅ならできるのかを科学的に検証することは難しいでしょう。
FCに限らず、障害児の創作とされる作品が実は親が代わって書いたものだったというケースが過去にあったことは事実で、そういう事例も問題をややこしくしています。
このようにFCがアカデミックな立場からは疑問符がつけられている一方で、イド・ケダーさんや東田直樹さんのようにFCから始めて最終的には自分の言葉を自分でタイピングできるようになり、自由な表現力を手に入れた自閉症当事者が複数いることも事実なのです。
私はFCも一つの方法として試してみるつもりです。
私が調べた範囲では、FCを始めるのは小学生以降が多いようなので、しーちゃんが7歳くらいになってまだ発話による意思表示ができなかったら、FCのトレーニングを始めようと思います。
発話にこだわることで、本人のコミュニケーションの可能性を狭めてしまうのは本末転倒だと思います。どんな形であれ、自分の考えや意思を表明できるスキルを身につけることができればそれに勝ることはありません。