最近、痰の吸引が必要な子を放置して死なせたとして、母親が逮捕されるというニュースがありました。
ヤフーのコメント欄では。24時間の介護が必要な人や生きるために医療的処置が必要な人、高齢者などに対し、「チューブにつながれてまで生きることを本人は望んでいないのではないか」というようなコメントに対し大量のいいねがついていました。
生きたいか生きたくないかは本人だけが決めることであって、他人が勝手に決めつけることではありません。
まったくもって余計なお世話です。
こんなコメントをする人も、もし自分が「いつも思うんだけど、あなたみたいにブサイクで頭悪くて稼ぎ悪くて何のとりえもない人は、生きてるの辛いんじゃない? 恥さらしてまで生きたい?生きるのやめたら楽になれるよ」と言われたら、どう思います?余計なお世話だほっとけって思うでしょ?
今回のような事件が起きるのは、ひとえに親や家族の負担が大きすぎるからだと思います。うちの自閉っこは、こちらが言っていることは通じないことが多いし、自分の意思を言葉で表現することはできません。最低限の生活スキルはあり、夜泣きも今なく健康ですが、それでも意思疎通が満足にできない相手と一緒に過ごすのはハッキリ言ってすごいストレスです。保育園と療育に預かってもらう時間があることで、私は精神のバランスを保っていられるのです。
高齢者や障害者・障害児の介護は「分散」がキーワードだと思います。親や特定の家族だけが背負い込むのではなく、学校や療育、福祉など複数で支えることが必要。負担を分散させるわけです。とてつもなく重い荷物をひとりで抱え込んだら、潰れるのは時間の問題です。
今回のケースで着目すべきは「そこまでして生きる価値や意味があるか」ではなく、「どうすれば防げたか」というところだと思います。
母親個人の問題というより、行政の問題だと思います。政治の敗北。
もしこの母親が信頼できるところに子どもを預けたり介護を代わってもらえたりすることができ、悩みや不安を聴いてもらうことができて、十分な睡眠とリフレッシュの時間をとることができていたら、このような事件が起きなかったかもしれません。
このようなことを言うと、綺麗事と批判されるでしょう。でも、まず叶えたい理想というものがあって、どうすればそれを実現できるかを考えるのが政治だと思う。
家族に押しつけちゃえば解決♪なんて政治の怠慢以外の何物でもない。
家族だけに負担をさせることなく障がい者の命を尊重していくには、どうすればよいかという問い。それがスタート地点です。
人手や予算なんて、国が本気でどうにかしようと思ったらなんとでもできます。本気出してないだけです。
障害児の親だからこそ見えるものがあると思う。もっと生きやすい世の中にするために、考え続けていきたいです。