殺傷事件の画が浮かんでしまう。

川崎20人殺傷事件。


事件があった登戸駅は
私が中学高校と6年間使った南武線の通過駅で、途中下車することもあったところ。


カリタス女子中学高等学校は
志望校のうちのひとつだった。



速報が携帯に流れたとき
意識して
メディアとニュースから距離を置いたつもりだった。


HSPの特性で(私は)
こういうニュースに痛みを感じやすく
生活そのものの色が
落ちてしまうのをわかっていたから。




だけど先日
息子の習い事の帰り道に
人混みの中 息子の手を引いて歩いている時

どこか遠く
ホームの端の方から聞こえてきた
男性の恫喝の声を皮切りに
言いようのない恐怖感に取り込まれた。

手に握られた折り畳み傘さえも
一瞬ナイフに見間違える。
いちいち身がすくむ。

どこに行っても安全では無いような絶望感。
体温がスゥっと地面へと吸い込まれていくような感覚になった。




共感しすぎて同化してしまいそうになるので
飲み込まれそうになる"恐怖"という感情に
一旦ストップをかけて
胸に手をおいて、呼吸。呼吸。

自分の中にいる小さな子供に話しかけるように

"あれは別の場所のこと。
ここは安全なところだから大丈夫"

繰り返し繰り返し
じぶんに言い聞かせる。







でも、許せない。
やり切れない。



なぜ。なんでなの。
道は無かったの?



子供達が感じたであろう恐怖心と
同じ親としての怒りが込み上げる。



怒りの感情は人を壊し、連鎖すると頭ではわかってはいる。
でも、抗えない。
抑えられない怒りがある。



ネットで論争になった
「死ぬなら1人で死んでくれ」

理解できる。

でも、その言葉にも、苦しくなる。




私たちは
何を考えていかねばならないのだろう。


こんな悲しい事が繰り返されないように

何を考えて、何をしたらいいのだろうと
答えの出ない問いを考え続けている。





ご冥福をお祈りいたします。


CeCe