CeCeです。




昨日は、LINEが一日中鳴り続けていた。



安否確認や、励ましの言葉が

携帯の画面の上を

行き交っていた。




あ!あの人!

そういや、あの子も!?


思い浮かぶ顔が多すぎて

大丈夫か投げかけたい気持ちにかられても

もし、帰宅困難になっている最中や

自分より連絡を取らねばならぬ先があって

無駄に彼らの携帯のバッテリーを減らしてもと思い

待つ姿勢...

がまん。





流れてくる「地震で部屋の中ぐっちゃぐちゃヨ笑い泣き」の

おちゃめな自虐ネタの要素を含ませた

安心してねという意味合いのメッセージに

心がキュゥゥゥっと痛んだ。





2011年の東日本大震災の時は、

私は、4ヶ月の妊婦で

キツ過ぎる悪阻に

オエオエと、えづきながら

ベットの上で、うな垂れている最中だった。



大きな揺れ。それも、ながい。


怖さより、この緊急事態に

今、何をすべきかと

Emergency仕様の脳に切り替え

携帯を握りしめて

外に飛び出したのを覚えている。



丁度、その時は

小学生の下校時刻と重なり

誰の保護下にも置かれていない

宙ぶらりんの子供達が

不安な表情で、路上で立ちすくんでいた。



近所の子供たちを誘導し

自販機のジュースを配り

座らせて



「もう大丈夫。

一番怖い時は過ぎたから。

安心してね。

ちゃんと一緒にいるからね」と、


声をかけるだけで、精一杯。




安否確認に自転車で奔走する

先生方の必死な姿に、有り難さと

同志の様な、連帯感を感じた。




次々と親子が再会。



ママの顔を見て、泣き出す子。

子供を強く抱きしめるお母さん。




黄色い帽子を被った子供達が

次々と手を引かれて

帰って行く後ろ姿を見送り

再び、悪阻の渦の中へ、私も帰った。





学生時代

馬を扱う子供キャンプのボランティアで

足繁く通った相馬。


強い思い入れのあった相馬。


私の第2の故郷でもあった相馬。




ちゃんと泣けたのは

3年も経ってからだった。










災害のしんどいところは

感情を向ける先が無いところだと思う。



怒りの矛先

デトックスの出口がない。







滞りは、人をいたたまれなくさせる。







誰も、悪くない。


誰のことも、怒れない。





でも、傷つく。どうしようもなく。



状況を理解し

飲みこまなければならない。




キツイって感情を。








まだまだ余震も続いていると聞いています。




どうか

貴方のそばに

寄り添う人がいますように。

寄り添う心がありますように。



孤独にならないでね。

孤独じゃないよ。




世界は繋がっているって、私は思ってる。




穏やかな夜を過ごせますように。

少しでも早く明るい朝が来ますように。



CeCe