昨日、会社のスタッフと共に被災地のボホール島に
救援物資を届けに行ってきました。
ボホール島はいつも上空を飛んだりツアーに行っている場所で
地震後から何か出来ないかずっと考えていました。
でも…
下手に物資を直接持って行くことは救援作業の邪魔になるのか?
物資をテレビ局とかに持って行こうか?
義援金としてお金を送るか?(これはフィリピンでは無駄になるかも??)
うちらみたいな小規模の救援物資を持っていても意味ないんじゃないか?
…と色々と考えては中々、行動に移せませんでした。
最初は飛行機があるんだから
飛行機を飛ばして物資を運ぼうと考えていました。
うち1機では少ないのでYさんにも相談して了承はして頂いていました。
ただ、ボホール島のタグビララン空港のランプエリアは狭く
震災後は軍関係や救援の為に航空機で混雑していました。
そこに何時間も飛行機を駐機して他の任務の妨げになりたくなかったので
飛行機での物資の運搬は断念…
そうしたら船しかありませんね。
一昨日に水や食料などの救援物資を購入してきてパック詰めしました。
訓練で来られていたNさんにも賛同して頂き
寄付そして同行して頂きました。ありがとうございました!
セブ港から07:00出発予定の船に乗船。
目的地はボホール島のトゥビゴンという街です。
船内はこんな感じ。
エアコンなしで110ペソ(約240円)です。
大量の救援物資が船に詰め込まれていました。
船は予定通り?1時間遅れで出発。
約2時間30分後にトゥビゴンの港に到着。
港には大量の物資とそれを受ける人でごった返していました。
民間人も軍人も入り乱れて物資の運搬が行われていました。
港にも地震の爪痕が
我々の物資が外に運搬されるまでに約1時間…
ここからボホールでお世話になっているレンタカー屋のビンセントと合流。
彼が運転してきたバンに物資を詰め込んで出発。
事前に彼にどこに我々の少ない物資を効果的に配れるか
本当に支援が必要な場所に絞って案内してもらいました。
今回の走ったルートは
トゥビゴンークラリンーサンバヤンーカルメンー
ロボックーコルテスータグビララン
港から出た後すぎに倒壊した建物等が目に入ってきます。
町の広場では救援物資を配っていました。
我々も大量の物資があればそういう形で渡せるのですがそうはいかないので
車で隅の方に走っていって個別で渡すようなかたちをとりました。
町から外れると住む場所を失いポツンとテントで生活している人たちがいます。
こういうところを中心に物資を配って来ました。
雨の中、物資を受け取って走って帰っていく子供達です。
ここが初めて物資を配ったところなんです。
実は実際に配るまでこのやり方が正解なのかとか色々と心配していましたが
物資を渡した後の笑顔と「サラマッ」の一言ですべての心配が消えました。
この後はどんどん車を走らせて似たようなところへ配りました。
道路を走っていると「WE NEED WATER&FOOD」とか「HELP US」と
書かれた看板があっちこっちにあって道端で人々が救援物資を待っています。
物資を配り始めたらすぐに人だかりができます。
すごい勢いで子供が押しつぶされそうになったりする様子を見ると
本当にまだまだ物資が足りていないんだなと思いました。
空っぽになった段ボールですら喜んでもらっていきます。
空からみていたチョコレートヒルズも下から見るとかなり激しく
崩れているのが良くわかりました。
そして、長い歴史のあったロボク教会は無残に崩れていました。
ボホール島は大きい島ですので被害が大きいところと
そうでないところがはっきりと分かれていました。
我々はサンバヤンとコルテスを中心に物資を配って来ました。
全ての物資を配り終わりタグビラランの港に着いたのは5時過ぎでした。
港のターミナルも被害を受けて使用できない状態でした。
5:45のスーパーキャットに乗ってセブに帰りました。
これは早いのでセブまで約2時間で到着しました。
今回、ボホール島に行って本当にまだまだ支援が
必要な人がたくさんいることがわかりました。
今後も何らかの形でサポートできれば考えています。
でも、今回の事でボホールの人たちを助けたというより
自分が救われたような気がしてなりません。
人を助けることつて自分を助けることなのかなと
自宅に帰ってビール飲みながらふと考えていました。
ちょっと長くなりましたがこれにて
OPERATION "Kaibigan" 終了です^^













