本日、某海外オークションサイトで競り落とした不動の1本なのですが、
(画像は某サイトの掲載画像を拝借しています)
Girard Perregaux 、ジラールペルゴのシーホークという時計。
ケースはズタボロ。文字盤はギトギト。ムーヴメントは錆が浮いて竜頭折れでOHには莫大な予算がいる。
この時計、もともと競り落とすつもりはなかったのですが、あまり値が上がっていないことと、
米軍でWW2の時期に実際に使用されていた時計だという確信があって入札しました。
ジラールペルゴは勿論スイスの時計メーカーなので、確固たる根拠がないとその判断には
至れませんが、今回の個体、
このメタルバンドがついているんです。
これは日本では先ず目にする機会のない(とはいえ海外に飛んだことすらない僕ですが)、
TRENCH ART という会社のウォッチバンド(?)みたいで、WW2の米軍官給品としても使われていたらしいんです。
あとは、裏蓋の刻印に、所有者の名前と送り主、メッセージ等、送った日付が英語で刻印されているというのも大きかったです。
一段目の名前は伏せますが、
二段目三段目を合わせると『FROM HIS EQUITABLE ASSOCIATES』と書かれています。
四段目 1943年10月4日
この刻印から、恐らくこの時計は出兵時に彼に向けて修道士・修道女たちが送ったものではないかと考えています。
EQUITABLEというかしこまった英語を用いる機会は限られますし、何より、
非常に不謹慎なことなのですが、この方について少し調べてみたのです。
すると、この方は出兵前まで修道士をされていたことがわかりました。
その後も朝鮮戦争を経験し、近日まで残りの余生を楽しんでおられたそうです。
ここで非常に痛感したのが、よく軍事オタクの類の人(かくいう僕もその一人ですが)は『ミリタリーは男のロマンだ』とか、『ドラマがつまっている』とか口軽く言うけど、
そんなに簡単に共感できるほど簡単な世界ではないということです。
自分自身、当時のミリタリーウェアや時計が好きで蒐集しておりますが、それはその当時のものである以上、私たちはその重要性を常に頭に入れておかなければならないのだということに盲目でした。
確かに当時のモノにはロマンがあるけど、ドラマだってあるけど、そこには当時の痛みと苦しみがひとつひとつの傷や経年変化に刻まれているんだってこと、忘れてはいけませんね。
今回の時計でも、相当心に響いたことがあります。
先ほど、この時計の所有者さんについてすこし調べたと申し上げましたが、
この時計、マーケットに出回るのが余りにも早すぎるんです。
ジラールペルゴの手巻き時計、WW2で支給されたベルトをまとって、
壊れて動かなくなった状態になっても、70年余りの年月を、所有者さんはこの時計と共に歩んできた筈なんです。
それなのに、この方にとって大切な時計であるはずなのに、どうしてこんなに早くマーケットに流れてくるのか。
なぜか、とても悲しくなりました。
この時計にある名前を探してしまった自分に凄く悔いています。
なぜなら、それは、旅立っていった方々の記憶の浸食だからです。
また以前、同様に、所有者の刻印から名前を調べて「この人は~部隊の大佐を務めており、~で負傷した際に送られたものだ」とか誇らしげに記載している古着屋のHPをみたことがあります(そう記載することでその個体に信憑性と付加価値という両方の利点を店は被ることができるのです)が、今思うとその神経って信じられないものだなと思ってしまいました。
なんにせよ、その方の人生を調べてしまった以上は、僕自身この時計と向き合っていく定めになるわけです。
もしかしたらご遺族の方が探していらっしゃる時計かもしれないので、もし詳細がわかったら、
ご遺族の方にご返却しようと思っています。
或るいは、もうご遺族がおられないのかもしれない。そうしたらOHして僕が後世に残していきます。
この時計は自分にとって大切な一本になりそうです。
この時計を安易に手放すことは、人生への冒涜となり得る気がするのです。
