いのいちのブログ

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最近は仏教が中心です…。

先が見えないのは、不安です…。

 

仏教を聴いていますが、生きているうちに後生の一大事が解決するかどうか分からないことは、

大いに不安です…。

「なぜ生きる」が、あと5年で知らされるとしても、それまで命のあるとは限りません…。

「なぜ生きる」が知らされるかどうか、先は見えません…。

人生の目的は、今生だけの目的でない、多生永劫の目的ですから、カンタンなハズがありません…。

すべての時間とおカネと体力を投入して…命を懸けてようやく…って目的です…。

仏教は学べば学ぶほど、この世の危うさと、死後の地獄の苦しみを知らされますから、

不安になって、焦るのは事実ですね…。

受験生なら、模擬試験を受けて、合格判定が出ますから、ある程度、先が見えます…。

でも「なぜ生きる」を知らされるかどうかは、全くの暗中模索、手探りです…。

仏法を求めるのが苦しいなら、やめてしまう…って選択もあるか…ですが…。

例えば、ノーベル賞を取るとか、オリンピックで金メダルを獲るとか、

この世のことで、不可能なことは、あきらめるのはカンタンです…。

ただ仏教で教える苦しみは、仏教を求める人だけの苦しみでなく、万人の苦しみです…。

生老病死…日々、墓場に向かうのは、万人共通の否定できない事実です…。

死後が分からず、いつ死が訪れるか分からず生きていることは、

真っ暗闇をバイクで突っ走っているミタイなものです…突然、壁にぶつかり、サドンデスです…。

仏教を聴いていても、真っ暗闇をバイクで突っ走っている事実に変わりありませんが、

少なくともそんな状態にあることが、頭だけでも知らされています

…なにか手を打たないとタイヘンだと知らされてます…。

仏教を忘れて、またこの世の快楽…欲を満たすことで誤魔化そうとするのは、

末期の癌の痛みにモルヒネを使うようなものです…おカネも家族も趣味もモルヒネです…。

一度、見てしまった現実を、また目隠しを付けて見ないようにはできません…。

 

迷ってることを知らされて、また迷いたい…とは思いません…。

仏教では、苦しみの逆巻く人生を難度海と云います…いずれ土佐衛門になることが決まってます…。

すべての人は難度海で、どちらに向いて泳げばイイかが分かりませんが、仏教では救助の船

…大悲の願船…阿弥陀仏の本願が教えられ、泳ぐ方向は明示されています…。

仏道を求めるのは、聴聞、お勤め、六度万行の実践です…。

 

私は3年前に、仏教の聴聞を再開しましたが、3年前と今とでは、

仏教にかける気持ちは少しづつは変わっています…。

依然として、相対の幸福を求める煩悩はまったく変わりませんが、

それらは死の前には無力…ヤバいと、頭だけでも知らされてます…。

仏教を求めると、だんだん信心が深まって不安が無くなり、救われるワケではありません…。

仏教は求めるほど、危ない現実が見えて不安と焦りが強くなるのと同時に、

それを救う弥陀の救いの有難さが知らされるので、求道が進むと、

助からないマイナスと、助かるプラスの波の振れが大きくなる…って、云われます…。

阿弥陀仏は、名号を聞く一念で、その迷いを断ち切ってくださります…。

先が見えない不安はすべての人であって、唯一、光が見えるのが仏教…ってことですね…。

 

同じ悩みでも解決のある仏道で悩む方がイイです…。  (o^^o)