
父の遺品整理をしてたら出てきた。市民活動を通じて実費で分けてもらったものらしい。日本の読者へ、にこうあった。「ある軍医はこう言った、放射線病で死ぬことはあるまい、年をとればかかる病気がふつうより早くおとずれるだけだ」
日本の読者へ ティート・タルラップ より
「チェルノブイリ事故から7年がたった時にこの本を書いた。当時、記憶はまだまだ生き生きとしていた。それから11年が過ぎた(筆者注:日本語訳本書は2004年の発行)。記憶のなかの映像がすこしばかりセピア色になり、激流のようだった感情はとっくの昔に沈静化してしまったが気持ちは何も変わらない。この十一年の間に、さまざまなことが起きた。
エストニアは再び独立した。そしてチェルノブイリに行った同僚の多くは死んでいった。事故の処理のときの被ばくが原因なのか、もともとそういう運命だったのか、誰にもわからない。
私的な会話のなかである軍医はこう言った、放射線病で死ぬことはあるまい、年をとればかかる病気がふつうより早くおとずれるだけだ、と。まさに至言だと思うようになった。彼は本質をついたことを話していたのだ」
訳者あとがき より
「エストニア人、ティーと・タルラップの手記『ボクの体験したチェルノブイリ エストニア人リクフィダートル(事故処理参加者)の手記』(原題 Chernobyl1986 Memoirs of anEstonian Cleanup Worker)は、数多くあるチェルノブイリ被災地のルポルタージュとはいささか趣を異にしている。事故処理のために予備役で動員された一人のエストニア人青年の『ソ連軍従軍記』とでもいえばよいだろうか。
事故直後の五月七日早朝、突然に召集され、被災地に送り込まれる。二ヶ月の予定が、六ヶ月に延び、十月十六日に除隊。『無謀と無気力にいろどられた景色』(マティ・ラフ氏序文から)のなかを旅する六ヶ月の『戦争旅行』の記録である。タルラップは、一種独特の文体とシニシズムで『最底辺で参加した人間の感情』を、ひたすら語る。そのなかからは、被占領の意識と独立志向の強いエストニアという特殊性はありつつも、ソ連全土から六〇万人が参加したといわれるクリーンアップ作戦(筆者注:除染作業計画)の実態が奇妙にリアルに浮かび上がってくる。
エストニア、ラトヴィア、リトアニアのバルト三国は、その後、一九九一年に相次いで独立。市場経済化を進め、二〇〇四年五月には欧州連合(EU)への加盟が決まっている」
(御希望の方には実費でお送りいたします)との記載
発行者 エストニア・チェルノブイリ・ヒバクシャ基金
東京都杉並区西荻南1-19-2
電話(03)3334-9770
*筆者は現在も入手可能かどうかは不明、
ご関心のある方はご自身でご確認ください。
