「根治不可」

 

退院の前、ある書類に書かれていた文字。

 

 

具体的に何の書類だったかは覚えていない。

 

緩和ケア病院に持っていく書類か?

 

在宅医療で、誰かに渡す書類かのどれかだろう。

 

 

その文字に目を離せなくなっていた。

 

 

その書類を持ち、部屋に戻っていた。

 

 

その時、偶然通りかかった先生が。

 

それは、主治医の代わりに再々発告知をしてくれた先生。

 

半年から1年と余命宣告を説明してくれた先生だ。

 

 

先生から「どうしましたか?」

と声をかけてくれた。

 

 

「根治不可って書いてある・・・」

と答えた。

 

先生は、

「これからは、癌と共存していくんですよ。」と。

 

 

先生は励ましてくれているのだろう。

 

 

でも、この時は、同じ思考がぐるぐると回っていた。

 

 

再発して、その治療の為に入院。

 

15時間にも及ぶ手術。

 

その手術の合併症で感染症になり死にかける。

 

二十日間寝る事もできずに苦しみ続けた日々は地獄だった。

 

処置中の大量出血により緊急手術。

 

その後も何度も全身麻酔手術。

 

顎関固定で、口を固定する日々。

 

それが終われば、口は開かなくなる。

 

そして再々発。

 

余命宣告。

 

リハビリは自然消滅。

 

在宅医療の為の、

胃ろう増設手術では術中覚醒で痛みで絶叫する。

 

 

胃ろうの件は別としても、

何のための日々だったのだろうと。

 

 

自分の体を痛めつける為に入院したのか?

 

 

手術を選択したのは間違いだったのか?

 

 

「根治不可」の書類を持ち、余命宣告されて退院する。

 

 

余命宣告された残りの時間は、日々少なくなっていく。

 

 

前向きに慣れる要素は、

何一つなかった。