2018年1月10日の手術から五日がたった。

 

気管切開で、カニューレでの呼吸にまだ慣れておらず、

一定時間毎に、行われる、痰の吸引もきつかった・・・

 

その理由は、吸引中は呼吸をする事が出来ないから。

「吸引しますよ。」と看護師さんが来る度に体が強張った・・・

 

そして、術後に目覚めてから、一睡も出来ていないし、

高熱も続いていた。

肉体的にも、精神的にも限界は超えていた・・・

 

この日、早朝に先生がやって来て、

術後出ている高熱についての話があった。

 

うる覚えだが、覚えている高熱の理由は、

 「手術の傷が膿んでいる、

  その膿による高熱」だった。

 

恐らく、詳しく説明していたのかも知れないが、これくらいしか覚えていない。

両親には、恐らく説明しているとは思うが。

 

そして、その対応が、

 「手術で閉じている傷口を、全て開く

  膿を排出する」だった。

 

その時は、苦しくて苦しくて堪らない状態で、

先生を見つめる事しか出来なかった。

気管切開していて喋れないのもあるが、

喋れたとしても、喋る気力もない状態だった。

限界はとうに超えていた。

 

思ったのは、傷を開いて大丈夫なのだろうか?

カニューレでの呼吸に慣れず、全身がバラバラの様なキツさもあり

更に、高熱が辛くて堪らなかった。

なので、熱だけでもなんとかなってくれと願っていた。

 

10時に先生達が処置を初めた。

メインは、整形外科の先生。

 

場所は、変わらず、そのまま重病個室。

 

仰向けで、天井を見ていた事もあり、

どの様に傷を開いたのかは分からない。

 

膿の出し方だけは、分かった。

先生が、手で押して出していたから。

ぐいぐいと傷をおして、膿を出す。

何度も、何度も繰り返された。

 

傷に触られる怖さはあるが、それ以上に

現状が限界を超えていた。

 

どのくらいの時間かは分からないが、処置は終わった。

 

「これから、毎日、膿みだしの処置を行います。」と言い、

先生達は、出て行った。

 

この頃は、本当に限界を超えていた。

寝る事が出来ないので、

辛くて限界突破している状況が既に、

100時間を超えていた。

 

通常、手術は、時間薬と言われ、時間が経つごとに回復していく。

だが、今回は、時間が経っても、なんら回復せず、

高熱も追加され、辛さは増していた。

 

自分が耐えられる、体と精神の限界を超えており、

「もう死にたい」と、思い始めていた・・・

 

 

※後ろ向きな事を書いてすみません。

嘘はつきたくないので、その時の思いをそのまま書いています。