おはようございます。もうすっかり寒い、師走ですね。今日は改めて自分というもの、そして他人というものについて書こうと思います。さて、自分とは?自分を知りたいというのは人の願いの基本のようなものですが、それには手がかりが必要ですね。私たちは純粋に私を見つめて私を知る、それはとても難しいことなんです。ゆえに、他人というものを必要とする。他人は自分というものを映し出す鏡です。このあたりのことについて、ユングは影(シャドー)と言ってますね。


他人に対して、好意を抱くとき、或いは嫌悪感を抱くとき、私たちは他人が「そういう人」だと思ってみていますが、実際にはそういうわけでもなく、自分の美点を見いだしたり、自分の醜い点を見いだしたりしているんですね。で、美点の方はまあいいですが、嫌悪感を抱くと、それを切り離そうとします。あんなやつ関係ない、ってね。でもそれには無理があるんです。ユング流にいえば「影を抑圧する」でも、影ってやつは抑圧すると、必ず報復されます。


他人に嫌悪感を抱いているときに根底にあるのは「私は成長したい」という思いです。そして成長するときには、醜いと思っていた、自分の中の影と共に成長するのでなくてはならない。それには時間をかけて、影を切り離そうとするのではなく、それと向き合って、それが「醜く」は無いということを認める必要があるのですね。ユングはそれを「対立物の融合」と言いました。そしてその際に「イメージ」や「夢」というものがきっかけになるとも。


人が他人を気にせずには居られないのは、それが自分というものを知る「手がかり」になるからです。人は常に成長したい、自分を知りたいという欲を持っています。だから、他人に違和感を感じたりする。違和感というのは好きと嫌いの間にあるものですね。私たちはそれを「私とあの人の違い」と見ていますが、それは「私と私の違い」でもあるのですね。違和感というのは「異なる私との出会い」新たなる成長の種でもあります。影については、河合隼雄著『影の現象学』という名著があります。是非。