1月17日という日 | タマちゃんの日記

タマちゃんの日記

アラシアンなアラフィフ主婦の日記です(笑)

アラシゴト、オシゴト、オウチゴト
思うままに書き綴ってます。

予約更新です
たぶん、この時間はすでに出勤準備に入ってるので(><;)

嵐くんのお話ではありません










20年前の今日

この時間
旦那さんのお弁当を作ってる途中でした

まだ二人でアパートぐらし

こちらの地方でもかなり揺れて
まだ寝ていた旦那さんも、飛び起きてきました
すぐにテレビをつけ、状況を知り
関西地方にいる親戚の安否を心配していました

しかし、中々繋がらず
そちらは、義母に委ねて
旦那さんはしぶしぶ出勤して行きました

義母は京都の人で、兄弟も全員向こうにいます
義父も生まれは九州ですが、今ではみんな関西かこちらの地方に出てきてるので
ほとんどの親戚が向こうにいます

専業主婦だった私も、一日中落ち着かず
実の両親も、心配してきてくれました

連絡が取れたのは夕方
幸いなことに、被害もそれほど酷くなく
みんな無事でした

中には、私たちの事を心配して、直接連絡をくれた方も

こちらは揺れたといっても大したことないのに






どんどんと
被害の全貌が明らかになり

とんでも無いことがおこってしまった

自分の目の前の風景は
昨日と何も変わってないのに
あの一瞬で、全てを失った街が
全てを失った人が




あの街は
結婚前に、旦那さんと遊びに行ったことがあります
旦那さんは、若い頃に転勤で2年ほど住んでた街です
なので、一緒に行った時にいろいろと案内してもらいました

テレビの映像で流れる
何もなくなってしまった街の様子
それを見つめる旦那さんは
青春を過ごした街の変貌に
ショックを受けてました





もちろん
経験された方は
私たちが受けたものより
もっと大きな打撃を受けたと思います

でも
一見、何も関係ないように思える私たちにも
大きな大きな出来事でした






あれから20年

復興したあの街にも
震災の経験をしてない人が
4割になったとか

時間がたつ
というのは凄いですね
復興もするけれど
忘れる、知らないも増えてしまう





それじゃいけないんですよね

地震をなくすことはできない
でも、被害を少しでもなくすように
少しでも早く、次の行動に移れるように
経験を生かさなくては

そのためには
次の時代に伝えること

忘れないこと








今年は
戦後70年でもあります

こちらもまた
忘れてはいけない
伝えなければいけない

次の時代へ












ここからは私事です
スルーしていただいていいです














そして

5年後のこの日の未明

私たち家族の元へ
1本の電話

父からでした
入院中の母の容体が急変したと

父は延命をしないと申し入れていたため
私たち夫婦と兄が到着した時点で
心マは中止

2年近くの闘病が終わりました



寝たきりになり、言葉が話せなくても私たちの事はわかり、孫の顔を見ては泣いていた母
そして、毎日病院に通い続けていた父

2年は長かった

最期のとき
母にも、父にも
「お疲れ様でした」
と言いました


あれから15年




父は、兄と二人で
それなりに元気で暮らしてます