※記録のようなものです。
いい話ではありませんので、他の方の記事へ
飛んでください。
4月29日の夜、つまり前回の投稿後、
体を触ったら熱いので、測ると38℃。
4月下旬は、疲れが出ているのを感じながら、
あっち行き、こっち行きし、
外出先のどこかで、ウィルスが侵入したのだ。
30日は病院で反応が出なくて、解熱剤だけ処方され。
血液検査も異常なし。
私だけ帰省は、取り止めた。
5月1日は、常備薬のセキ止めが効かず、また病院へ。
胸を見てみましょうとレントゲン、異常なし。セキ止め処方。
5月2日、これで3日連続の病院通い。
解熱剤、セキ止めを飲んでも、あまり効果なしのため。
検査をフルでやり直すことになり、
やっと判明、インフルエンザB型。
なぜか、驚かず。
ただただ、原因がわかってよかったから。
人生初のインフルエンザは、
11月に予防接種して、
5ヶ月有効をギリギリで過ぎた疲れていたときに、
うまくウィルスさまがやってきたというわけ。
処置室では、調剤薬局から薬剤師さんが来られて、
吸入式の治療薬を指示に従って。
と、ここで終われば、まだラクできたのだが・・
5月3日、嘔吐・下痢。
一日経つころには、出すものがなくなって、とても衰弱。
本当に最悪、元気になるのだろうかの思い。
他に何かあるのではないか?と不安も。
帰省しなかったため、
両家の80代の母から電話で励まされる。
まだ若いんだから、元気にならんといかんよ。
気持ちも弱くなっている私は、
過去に出会ってきた、いろいろな人が
走馬灯のように出てきて、
私の人生はこんなだったなぁぁと思ったりもした。
5月4日、
その病院は当番医。
嵐のように、いろんな症状の患者さんが。
ちょっとした戦場のようだ。
私は、ぐったりとなっていて、もう最悪。
インフルエンザの判定だっただけに、
離れたところで待っているように言われ、
長椅子に寝て待っていた。
似たような患者さんが他にも寝ている。
やっと呼ばれたら、
点滴の場所が処置室ではなくて、
離れたところで2つしてもらう。
おかげで体が、しゃんとなり、
吐き気止め、下痢止めの薬をもらい、
普通なら徒歩15分でもタクシーで帰宅。
やっと点滴で少しよくなったんだから、
少しずつ食べものを入れて、薬を飲もうと、
お湯を注ぐだけのスープが、
おいしい、おいしい、おいしい。
こんなときに、本当に食べもののありがたさがわかる。
災害に遭ったり、
戦時中の人たちがこうだったのかもしれない。
おいしい、おいしい、おいしい。
何度も口に出して言う。
この5月4日の夜は、
生涯、忘れられないと思われる吉報に泣く。→次回へ
5月5日から、少しずつ食べる量を増やす。
夫が買ってきてくれた、スープ類、おかゆなど。
5月6日、マスクを付けて、ファミレスの和定食。
ふだん感激しないようなメニューに感激する。
食べもののありがたさを、ここでも思う。
夕食も外食して、力がついてくる。
4月29日~5月6日の大型連休は、布団暮らし。
大迷惑だったのは、1泊だけで戻ってきた夫。
私は、ごめんね、ごめんね、と繰り返す。
袋を持って、吐くときの、うぇーっを聞かされ、
窓を開け始める夫。
○○ちゃんが居てくれるだけで、
気持ちが軽くなるから、ありがたいと私は何度も言った。
感染されないように、離れたところにいた夫。
5月7日、
夫は連休明けで出勤。
私はスーパーに行けて、洗濯、掃除機をかけた。
5月8日、
快晴だったため、布団を干した。
インフルエンザは二度と御免だ。
今後は、疲れて弱っていると思ったら行動しないこと。