私がパリに住んでいた時、友達から彼女の家で行うFête de la Fédération(パリ祭)のパーティーのお誘いを受けた。

彼女の家はパリから少し離れたところにあって、しかもそこで花火もあがるらしく、もちろんパリでもエッフェル塔で噴き上げる花火も盛大にあるのだけど、気分的に人の少ない所で静かにこの日を過ごしたかった私は快くお誘いを受けた。

私が少し気になっていたのは、彼女の幼馴染のお友達の体調が良くなく最近よく病院へお見舞いへ行っていたことだった、緩和ケアを受けていると聞いていたのでなおさら。

そして、しばらくしてから、彼女の祈りも虚しく彼女のお友達が安らかに逝ってしまわれたという知らせを聞いた。

おなじ年月を共に生きてきたお友達がいなくなってしまった、という悲しみを私はまだ知らないけど、彼女の悲しみを考えるとFête de la Fédérationで皆集まってワイワイ食事なんてできる気分じゃないだとうと思い、ましてや彼女がホストなわけだから、今回は行くのをお断りさせてもらうと彼女に伝えた。

すると彼女からこんなメールが来た。

「悲しい事が起こってしまったけど、私の人生はこれからもつづいてゆくのです、だから一緒に楽しみましょう。」と。

悲しいという事実が彼女の周りで起こってしまった、だけど、勿論、彼女のこれかの希望に満ち溢れ楽しい人生はつづいてゆくのだ、だから今をあなたと一緒に楽しみましょうと。

日本では「喪に服す」という言葉がある、人の死をいたみ俗世の交わりを控え静かに暮らす。

最愛の人を失った悲しみを亡くなった人と分かち合うのも、その人に対するお悔みの方法かもしれないけど

残った人はその悲しみを乗り越えて現世で強く生きる使命もある、

すなわち、私の人生はこれからもつづいていくのだ。