経済(学)の本を見ると、商品の価格を決めるのは需要と供給のバランスであり、

横軸を数量、縦軸を価格として需要曲線、供給曲線と呼ばれる曲線とその交点が

グラフで示されています。

 

需要曲線(右肩下がり):『商品の価格が下がるほど、多くの人が欲しいと思うようになる』

供給曲線(右肩上がり):『商品が高く売れるほど、多くの人が作りたいと思うようになる』

 

しかしこの説明には違和感を感じます。

 

商品に対する需要は確かに価格が下がれば増すとは思いますが、価格が半分になれば

売れ行きは倍増するのか?価格が4分の1になれば売れ行きは4倍になるのか?

どこかで需要は頭打ちになるのでは?安くても欲しくない物は欲しくないのでは?

 

商品が高く売れると分かれば多くの人達が作りたいと思うようになると言うが、

仮に米・小麦が現在の倍で売れるとなったら多くの人達が参入するのか?

米・小麦の生産はそんなに簡単なのか?

パンが高く売れると分かったら多くの工房が出来るのか?

売り上げを上げようと思えば量を多く作れば良い、しかし沢山作り市場に大量に

流通するようになれば、すぐに飽和状態になるのでは?

 

次から次へと疑問が湧いてきます。ずっとスッキリしない状態が続いていました。

 

 しかし最近全く別の記述を見つけました。

それは需要曲線を供給曲線、供給曲線を需要曲線と逆に読み替えます。

すると、

需要曲線(右肩上がり):『多くの人々が欲しいと思えば価格は上昇する』

供給曲線(右肩下がり):『大量に作れば価格は下落する』

こっちの説明の方がしっくりきます。

 

考えてみれば需要曲線・供給曲線の説明は変だと思います。

”商品の価格はどのようにして決まるのか”と言う設問を立てているのに、

「価格が下がったから需要が増える」

「高く売れるなら多くの人が供給したがる」

と証明すべき事柄が前提条件にすり替わってしまっている。

あるいは(結果であるはずの価格が)原因として価格の変動と扱われています。

○○したから価格が上がった・下がったというふうに結果として価格が決まった

という説明の方が合理的だと思います。

 大学4年の時、私はゼミで相対性理論を履修しました。出来の悪い学生で

式の展開も満足に出来ず、教官には怒られ、やっとの思いで単位をもらい、

何とか卒業できましたが。。。。

 

それはともかく、学生時代は静止した物体の持つエネルギーはE=mc2だと言われ、

そんなものかと思って終わりでしたが、最近この式に疑問を持つようになりました。

 

普通、エネルギーといえば、運動エネルギーだったり、位置エネルギーだったり、

熱エネルギー、電気エネルギー、化学的エネルギー等、必ず個別具体的であり、

かつ、物そのものではなく、物の運動や物の状態、物の変化のことです。

しかるに静止した物体そのものがエネルギーだ、エネルギーを持つとは一体

どういうことでしょうか。何のエネルギーなのでしょうか。

 

そもそもエネルギーとは概念であり、現実のエネルギーは今述べたように必ず何らかの

具体の形を取るものですが、E=mc2の場合は何といえばいいのでしょうか。強いて言えば

言えば概念と物質は等しい、同じものだと言うことでしょうか。

それはおかしいのではないか。概念(精神)と物質が等しいなどというのは、最早
科学とは呼べないのではないか。
 
化石燃料を燃焼させると化学反応の前後では全くと言っていいくらい体積が異なります。
と同時に熱を放散します。化学反応後は著しく体積が膨張するという事は、分子間力が
一定程度解放されるということですから、
 
仕事(エネルギー)=力の大きさ×力の向きに動いた距離
 
の分だけエネルギーが熱の形で放散されるのではないか。
だから原子力の場合も同じように(化学変化とは違うが)核力が解き放たれるが故に、
熱の形で大きなエネルギーが発散されるのではないか。
原子力エネルギーだって物そのものではなく、物の状態の変化なのではないのか。
 
蛇足ですが、自動車の内燃機関の燃費不正操作・不祥事が表沙汰になるにつけ
E=mc2のせいではないかと疑ってしまいます。
本当は内燃機関はもう限界に来ているのに、この式のせいで、まだ動力を取り出す
余地がある、もっと効率を上げれば燃費改善の余地はあると思わされているからでは
ないかと勘繰ってしまいます。。。

 ベルリンの壁が崩落したのが1989年、東西ドイツは1990年に統一され、旧ソ連は1991年

に崩壊しロシア連邦にと、世界中に多数あった共産主義勢力が衰退し、資本主義の勝利と

喧伝されましたが、南北朝鮮は数少ない例外。何故今も朝鮮半島は南北に分断されたまま

なのでしょうか?

 

 南北朝鮮はテーブルの上では避難の応酬を演じていますが、本当のところはテーブルの

下ではガッチリ握手しているのではないでしょうか?

 

 韓国は極東に共産主義勢力が南下してくるのを阻止する防波堤の役割を果たしていると。

そうすれば確かに韓国には見返りとして多大な金や技術や人が同盟国から流れていきます。

そのおかげもあって韓国が繁栄を謳歌した、しているのは事実でしょう。

 一方、北朝鮮はどうか。世界最貧国であり餓死者を何万人も出している国ですが、核開発

やミサイルを打ち上げる金、技術はあるようです。それらはどこから来るのでしょうか?

 

 ロシアやイラン等の国から流入している可能性もありますが支払いはどうやっているのか?

案外お隣の同胞からコッソリと獲得している可能性はないのか?

ネット検索すると38度線の下には南北に通じるトンネルが4本あるとされ、北朝鮮が韓国へ

侵攻するため掘ったとの話しがありますが、真偽はともかくとして、そのトンネルに象徴される

ように本当は仲良しなのでは?

 

元はといえば同胞ですし、お互い日本には酷い目に遭わされたとの思いがありますから、

当初は確かに分裂していたが、いつの頃からかは分からないが、お隣にはチョロいカモが

いますから、吸い上げられるだけ吸い上げてしまえと、兄弟喧嘩してるフリして金品を

巻上げている可能性はないでしょうか。北のミサイル技術と南の原発から出る

プルトニウムが合体する危険性はないのでしょうか?

 

 

 

 

 少し前に某テレビ局系列で、元々は職人さん向け作業服を製作販売していたが、

近年はそれにとらわれず、自由な発想でアパレルメーカーと見間違わんばかりの

服飾提供で驚異の成長を遂げている某衣料品メーカーの成長発展を描いた番組を

視聴しました。

 

 そのメーカーは日本の多くの企業の例に漏れず、低コストでありながら高品質を

実現するために中国に進出する。そして中国の製造企業からの

「日本のメーカーは製造コストが低いのに品質にうるさくて受注したくない」

との苦情不満にも関わらず、現地製造業の繁忙期を避け、閑散期に大量発注して

製造コストを下げる。

また日本人アンバサダーを無償で雇い、特に若い女性目線での視点を大事にして

売り上げを増大しているという、ある種の典型的美談な番組でした。

 

 私も最初この番組を視聴したときは確かに感動したのですが、放送終了後、

しばらくして???という想いにかられました。

 

 何も価格抑制はこの服飾メーカーに限らず、日本中どこでも見聞きする話です。

ですが、こうやってこのように商品の価格の上昇を抑えていたら、いったいいつ

商品価格は上がるのか?ひいては物価は上がるのか?労働者の賃金は上がるのか?

 

 気づいたら日本だけが経済成長しないで、失われた20年、30年といっている。

 

 日本には出る杭は打たれるという諺があるとおり、例えば公務員等、賃金が高いと

される職種があると、俺たちの賃金も彼ら並みに上げろではなくて、無意識のうちに

彼らの賃金を下げろという動きになります。また欧米では当たり前のように要求される

サービスへのチップですが、日本人はサービスは無償で当たり前だと思っている。

 

 第一次産業の農林水産業は大きな成長は望めない? 第二次産業の製造業では

製造コストを抑えたがる(自動車等一部上がるものは上がっているが)。第三次産業

のサービス業ではサービスに対する対価の意識は低い。

 

 悪循環ばかりで、これでいったい、いつ好循環のスパイラルになるのでしょう?

 

 なお、金融経済の面からの対策としてお札の増刷をして、紙幣を市場に大量に出回らせて

紙幣の価値を下げ、物価を上げるという政策が採られています。しかしお札は日本中の

すべての商品に対応するだけの枚数があれば良い、あるいは販売-購買という過程を実現

出来るだけの枚数が流通していれば良いようなので、増刷されたお札の大部分は銀行の

支払準備金として眠っているのではないでしょうか?


 

 

 

インターネット上には日本人とユダヤ人は起源が同じであるなどいう言説があり

日ユ同祖論なる言葉まであるようですが、本当なのでしょうか。

 

ユダヤ人(に限らず西洋人は)は自然を開拓した歴史があるので、個人崇拝というか

偶像崇拝というか、一神教である。

それに対して日本人は自然に即して生きてきた、自然を開拓した歴史がない、

自然物のすべてに神が宿るとする多神教であり、宗教の性質が全く違います。

 

宗教の性質が全く異なるという事は、民族的に同質であるとは言えないのでは

ないかと思います。

(それにユダヤ人は白人種、日本人は黄色人種で人種が違いますしね)

 

それにもし起源が同じだとして、誰得なのでしょう。中東は紛争地帯で安心して

暮らせないから、起源が同じだからと良いだろとばかりに、イスラエルから

大勢の人たちに来られても困りますよね(笑)

ドイツのある哲学者が、チベット、ウイグルの人たちをお人好しの民族であると

書いているのを何かで読んだ記憶があります。

 

翻って、日本人もお人好しということにかけては人後に落ちないものかと思われますが

今、チベット、ウイグルがどういう状況になっているかを考えれば、日本も将来どうなるか

他山の石とする必要があるのではないでしょうか。

 

プチ雑感でした。

 憲法20条について、某宗教団体は屁理屈めいた事を書いてHPで言い訳

しているようですが、反論になっていません。

 

信教の自由は保障されるとは思いますが、問題はそんなことではなく、宗教は

政治に携わってはならない。なぜなら特定の宗教信者が増えると得をするのは

布教する側で、そのような布教者が数にモノを言わせて国家を支配するような事が

あれば、それは封建社会に逆戻りしてしまうからです。

 

近代国家は法の支配が原則であって宗教の支配などあってはなりません。

欧米だってキリスト教が支配的ではないかという反論に対しては、キリスト教には

ローマ法がある、キリスト教は法の宗教ではないという事です。

それにカトリックかプロテスタントかの違いはあるにせよ、ほぼキリスト教だけですが

日本には宗教法人の数は18万程あるようで、神道系、仏教系といくつか種類もあるようで

それが特定の宗教が支配的となれば他の宗教団体は面白くないでしょう。

 

それに第二次大戦中はSという宗教団体の教義が日本を支配的で、本を読めば病気が

治るなどとふれこみ、信者を獲得し、言霊信仰を振り回して、

「すべては心の持ち方次第、苦しくても心がけひとつ、そうすればそれが戦局を支配して

最後には戦争に勝つ」などと迷信をばら撒いて、日本を地獄に突き落としたのですから、

迷信に国のかじ取りなどされてはたまらない。

 

占領軍は大戦中の日本軍(日本人)の行動がどこから来るのかの源泉を支配的だった

宗教に求め、カルトと思ったことでしょう。言ってみれば20条をはじめ、日本国憲法全体が

カルト対策ではなかったのかと思われます。

 

政教分離の原則は守ってほしいものです。

 

小泉元総理大臣が電撃訪朝、拉致被害者5人を救い出してから早19年。
その後さっぱり進展しなくなった拉致問題。なぜいつまでたっても解決
しないのでしょうか。


 ところで中韓朝ではほぼ国策と言ってもいいくらいの反日ぶり。
そこには内政に失策があった際にも国民の怒りの目線矛先を日本に向けさせて
誤魔化そうとする意味合いも多分に含まれていると思います。

 日本の場合も同じように、国内の失政その他のガス抜きに使われていているのでは?
何かあったときは北朝鮮に目を向けさせる。
本当は北朝鮮が言ったように拉致被害者は全員帰国しているかもしれないのに・・・

私のケータイには万歩計が付いているのですが、買ってから今まであまり

気にしたことはありませんでした。しかし、健康診断の結果、少々太り気味

もう少し痩せたほうが方がいいですよというアドバイスを頂いたのを思い出し

毎日歩くことにしました。

 

そうなるとやはり数値という目に見えるものが威力を発揮。身長・体重といった

要素を入力していざ歩き出すと、歩行距離、所要時間、消費カロリーといった

数値が目に飛び込んできて、俄然やる気が出ます。

 

今日は所用で午後出掛けたのですが、待ち時間も多少あったことから

待ち時間の間、歩き回っていました。結果、結構な距離を歩くことが出来、

今晩またおいしくアルコールを頂きました。

 アポロは本当は月へ行っていないという説がネット界隈ではまことしやかに

囁かれていますが、本当のところはどうだったのでしょう。

 

 私もいくつか疑問が浮かび上がったので、以下に列挙してみます。

 

①月面で撮影された、アポロや隊員、星条旗の写真がありますが、これは変ではないか。

なぜなら月にはほとんど大気はないとされ、月面には太陽からの可視光だけではなく、

ガンマ線、X線その他人体に有害とされる電磁波も降り注いでいるはず。

だから宇宙飛行士もあのような重装備でいるはずです。

だから写真を撮ろうとしてシャッターを開けた瞬間に可視光以外の電磁波も飛び込んできて、

フィルムには何も映らないと考えるべきではないのか?

鮮明なカラー写真が撮影されればされるほど、嘘になるのではないのか?

それともその時のカメラのレンズは都合よく可視光しか通さない素材で出来ていたのか?

カメラの筐体も宇宙線を通さない材質でできていたのか?

 

②地上からロケットが発射されるときは発射台があるので問題ないが、

月面から戻るときには発射台はない。月面から帰還するときは月の周囲を周遊させていた

人工衛星?までめがけて上昇し、そこで衛星と連結し地球に帰還したとされていますが、

発射台もないのにアポロを正しい打ち上げ軌道に乗せるのは難しいのではないか?

月の周囲を周回して待機している人工衛星は相当な速度で廻っていると思われるが、

アポロと衝突する危険性はなかったのか。

 

あといくつか疑問点があるのですが、とりあえず以上、列挙してみました。