「廃校の木造校舎を再利用した宿伯施設」PART2
私は小学校と中学校3年の途中までは木造校舎で過ごしましたが、
中学校3年の途中で統合されて思い出の木造校舎で卒業することはできませんでした。
町内には上・中・下と三つの小学校があり、私が通っていた水内中小学校の裏には清流水内川が流れ、
春には桜がきれいに咲いていました。
校庭にあった二宮金次郎の像や相撲部屋、井戸のポンプ、停電の時に先生が鐘をたたかれていたこと、
校内の掃除も一生懸命やりました。
廊下や講堂のすみずみまで生徒の温かい心が行き届き、
木肌は年輪を見せて光っていました。
木造校舎ならではの思いでばかりが浮かんできます。
洋風木造建築の手法を駆使した明治から大正の木造校舎は
村の一人一人が裏山から木材を伐り出して作った
手作りの木造校舎です。
その木造校舎も今はコンクリート製のものに変わっています。
その時代や地域性、文化を表現して来た木造校舎は、その大半が統合によって姿を消していってしまいました。
現在残っている古い校舎のほとんどにも改築計画がおこなわれようとしており、
数年で姿を消すことになるでしょう。
なだらかな山々を背に素朴な姿を見せた木造校舎は画一的なコンクリート校舎に変わってゆく。
今までたくさんの子供達を見守り育ててくれた木造校舎が間もなく取り壊されます。
長い間頑張ってくれた木造校舎に感謝の気持ちをもち、
再生再利用の方法の考えるべきではないでしょうか。
地域によって色々の再生方法はあるはずです。
あまりにも大事な遺産を今失いかけていると思われてならないのですが。
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