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30代社会人、脊柱側弯症の記録

中1で特発性脊柱側弯症発症。32歳現在、手術を決めましたが悩みに悩んで中止。通院、その時の心境、保存療法(シュロス法、ゲンシンゲン)等について記録します。

またしても前回更新から時間が開いてしまいました。今回はゲンシンゲン装具が届いたときのことを記録します。
 
 2025年7月中旬

 ゲンシンゲンを注文してから2週間半後、ドイツから装具が届いたとの連絡がありました。すぐさま翌日の午後に半休の申請をして、装具の代理店を兼ねる接骨院へ。いまさら急いだところで三十代の側弯に大きな変化はないと理解しつつも、はやる気持ちを抑えられませんでした。

 平日昼間の接骨院は閑散としていて、数人の患者が静かに待つのみでした。六十代くらいの男性が受付で自身の装具の話をしていて、若者でなくとも装具治療を試みる人がいることが嬉しく、勝手ながら勇気づけられました。しばらく待つと自分の名前が呼ばれて、いよいよ待ちに待った自分のゲンシンゲンと対面しました。

 装具を見た第一印象は「思ったより大きいな」でした。私の側弯は胸腰椎ダブルカーブのため装具の範囲は肩から腰骨辺りまであり、ホームページに載っているシュロス法のカーブ類形の中でもひときわカバー部分が大きいもののようです。
 しかしこれは中高生のときに装具治療をしてこなかったから抱いた感想であって、ボストンブレースに慣れている方はゲンシンゲンの軽さに感動するそうです。自費の軽量な装具ですらこうなのだから、中高生時代の主治医が「学校に着けていけない子も多い」とコルセットを強く勧めなかったのは装具治療の険しさを知ってこそなのだろうと、今になってしみじみ思いました。



(Schroth Best Practice JapanのHPより。私の側弯パターンはおそらく4Cで、ちょうど画像のような形の装具です)

 フィッティングでは何度も着脱しながら装具の不要部分を削ってもらい、その合間にシュロス法の運動を4種類新たに習いました。
 運動は前回習った動きの発展形という感じですんなり終わりましたが、フィッティングは難航を極めました。試着のたびに装具の装着感は改善されていくものの、肋骨に装具があたる硬い感覚が気になり、何度も直してもらいました。さすがに心苦しく思いましたが、ここで妥協して合わない装具に泣きを見るのは自分です。
 まるで「プラダを着た悪魔」の鬼編集長ミランダにでもなったような気持ちで何度もやり直しを告げて、その度に電動ドリルの音が室内に響きました。

 最後の微調整の後、服の下に装具をつけたまま外の通りを一往復歩いて、ようやく私のゲンシンゲンは完成しました。接骨院を出る頃には4時間も経っており、嫌な顔ひとつせず終始明るく対応してくださったスタッフの方に感謝の気持ちでいっぱいでした。
 次回は一ヶ月、提携先の病院でレントゲンを撮って経過の確認と装具の再調整をするということでした。
 帰り際に装具を入れるビニール袋は必要か聞かれましたが、早くゲンシンゲンに慣れたいため断って、装具を装着して帰ることにしました。真新しいゲンシンゲンの装着感はとてもよく、締めつけによる若干の苦しさはあるものの、大柄な恋人に抱き締められているかのような体幹の安定を感じました。

 とはいえこれは間違いでした。
 今思えば、この時の私は苦労の末にゲンシンゲンが完成したことに浮かれていたのです。嬉しさで顧みていなかったものの、昼まで仕事をしてからの移動、長時間の装具試着や運動療法で疲労と空腹はピークに達していました。

 折しも、時刻は帰宅ラッシュの真っ只中でした。満員電車に揺られて20分程で左腰の側弯部分の圧迫感が矯正痛へと変わっていきました。少しでも姿勢を緩めれば左脇の下に装具が食い込んで腕が痺れるも、左右に人がいるため身動きをすることもできません。自宅の最寄駅に着く頃には、歩くのがやっとな程の疲れと酷い痛みでした。
 ゲンシンゲンは矯正力の強い装具だからこそ、初めは無理せずゆっくり慣れることが重要だそうです。もしもこれから装具を作る方がいましたら、帰り道に装着して帰るのはかなりの根性が必要なので要注意です……。

 とぼとぼと夜道を歩きながら、袋をもらって帰らなかったことを後悔しつつ、これから始まる装具生活に思いを馳せました。折しも今は七月半ば。一年で一番暑い季節がこれから始まろうとしていました。

 次回は装具を着けての日常生活について書いていきます。