JET STREAM・・・作家が描く世界への旅。
今週は、世界的指揮者・小澤征爾による自伝的エッセイ『ボクの音楽武者修行』を、一部編集してお送りします。
今夜は、その第1夜。
1959年、日本のスクーターを宣伝するという名目で、資金を集めてフランスに渡り、見事ブザンソンの国際指揮者コンクールで優勝した小澤は、クリスマスに浮足立つパリの街を離れ、チロルのスキー場で過ごしていた。
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クリスマスイブになった。
僕は、日本のクリスマスの事を思い出した。
僕には、中学時代からのコーラス仲間があって、もう11年間も、ささやかなクリスマス音楽会を続けている。
そして音楽会の後では、必ず夜の街を、キャロルを歌って歩く。
それは、僕の少年時代からずっと続いている、大切な思い出だ。
今年も、きっとあの成城学園のミュージックホールと、暗い街の中で、みんな歌っているんだろうなと、懐かしく思った。
しかし、銀座や新宿は、浮かれ騒ぐ人たちで凄いだろう。
ピエロのような三角帽を被った人や、仮面を被った男が、千鳥足で歩いているだろう。
日本でもそうなのだから、本場のヨーロッパでは、さぞかし凄いだろうと思っていた。
ところが、どうもそんな気配は無い。
夕食の後で、みんなが一軒の宿屋に集まって、各国の民謡を歌ったり、輪唱したりした。
騒ぐと言うより、何かを待っている雰囲気だ。
その直感は、当たった。
それは、深夜0時から村の古い教会堂で始まる、クリスマスのミサに行くのを、待っていたのだ。
[ミサ]
12時近くなると、みんなは申し合わせたように立ち上がり、オーバーを被って、雪の道を教会に向かった。
あっちからもこっちからも、ひっきりなしに人の波が続く。
村中の人全部が、教会に集まるようだった。
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クリスマスイブの、深夜0時近く。
村中の人々が、雪の道を教会に向かっていた。
中には、トランペットやトロンボーン、チェロのケース、コントラバスなどを抱えているおっさんの姿も見える。
彼らは、その教会専属のオーケストラなのだそうだ。
聞いてみると、ファーストバイオリンが郵便局の局長さん。
トランペットは、ソーセージ屋の親父さん。
コントラバスは、靴屋の丁稚小僧、といったメンバーである。
そして、ヘンデルのミサ曲を演奏し始めた。
コーラスは、男2人に女40人編成という、混声合唱団だ。
これも、村のおばちゃんたちや娘さんたちである。
全くの素人の集まりで、お世辞にも上手いとは言えないが、ヘンデルのミサを全曲やられたのには驚いた。
だが、聴く村人たちは大真面目で、なんとも落ち着いたもの。
もちろん、ダンスも騒ぎもしない。
ただ、キリスト様が生まれた事を、心からお祝いするという気持ちらしい。
僕は、成城のコーラス仲間・城の音のクリスマスを思い出し、ミサの間中、
「城の音のみんな、うまくやってるかな」
とばかり、考えていた。
僕はその時、新しい音楽の意味を感じた。
それは、言ってみれば、神様のためにだけある音楽。
そのためならば、たとえどんな演奏でも、ヘンデルは限りなく美しいという事だ。
神様に感謝する気持ちが、ヘンデルを弾かせているのであって、問題は音楽する人の心にあり、技術の上手下手ではない。
その心が、人を打つのだ。
そういう意味での音楽の使われ方、そういう意味での音楽の価値を、僕はその時初めて知った。
純粋という点では、これほど純粋なものは、無いような気がする。
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