2024/7/24 浅倉秋成書き下ろし③ | 福山機長の夜間飛行記録

福山機長の夜間飛行記録

月曜日から金曜日までの毎晩放送されるラジオ番組"JET STREAM"のうち、福山雅治機長のフライト部分を文字に書き起こして写真を貼り付けただけの自己満足ブログです。(※特定の個人・団体とは一切関係ございません。)

JET STREAM・・・作家が描く世界への旅。


今週は、作家・浅倉秋成による書き下ろしの物語「パリ、オードブルからデセールまで」を、5日間に渡ってお送りしています。


今夜は、その第3夜。


仕事仲間と共に、かつての恋人がシェフを務める店を訪れた男。


パリでも評判というその店で、4人全員が同じコースを頼んだにもかかわらず、彼だけに運ばれてくる別メニュー。


1品目の、マグロと鯛のタルタル。


2品目の、たけのことセロリのポタージュ、に続いて運ばれてきたのは・・・?


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「クロムツのポワレのサンド、ロックフォールソース添えです」


3品目も、僕だけの特別メニューであった。


見た瞬間に僕は、心を強制的に、大学時代の安アパートに戻された。


こんがりと焼き目の付いた、肉厚の白身魚が、茶色い丸型のサブレのようなものに、挟まれている。


かけられているのは、真っ白いロックフォールソース。


ブルーチーズを主な材料とするソースで、皿に顔を近づけなくとも、独特の香りが、音も無く立ち昇ってくる。



[ロックフォールソース]


僕以外の目から見れば、それはなんて事のない、フレンチの一皿に見えただろう。


でも、僕には分かった。


これが、何をモチーフにした料理であるのか。


狭い部屋で、肩をぶつけながら生活していた僕らに、金などあるはずがなかった。


調理師学校の生徒と言っても、食材を無尽蔵に使える訳ではない。


日がな一日、六畳間でテレビを見ていた僕と違って、彼女は毎日のように飲食店でのアルバイトに励んでいた。


生活を切り詰めて切り詰めて、やがてどうにか数万円を捻出すると、都内にある名店へと向かう。


本物の味を舌に刻み、また腕を磨く。


彼女の技術に甘え、毎食手料理を用意させる訳にはいかない。


金の無い僕らは、必然的にかなりの頻度で、ファストフードに頼る事になった。


大学生の腹は、ハンバーガー1つでは、なかなか満たされない。


2つほど買おうと思うと、僕はいつも決まって、同じメニューを買ってしまう。


1つは、通常のハンバーガー。


ならば、もう一つは・・・?


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


これはあの頃、僕が毎日のように食べていた、フィッシュバーガーだ。


気付いてしまえば、添えられているスティック状に整えられたにんじんのグラッセは、もはやサイドのポテトにしか見えない。


覚えているか、と料理を介して彼女から尋ねられている気分であった。


覚えているよ、と僕は薄い笑みを浮かべた。


ナイフに力を入れると、サブレはまるでバンズのように、しっとりと刃を受け入れた。


咀嚼した刹那、僕はこれが思い出をモチーフにした、単なる鑑賞用のモニュメントではない事を、思い知る。


バンズに似せたサブレには、胡椒と小間切れになったベーコン、そしておそらくはいくらかのバジルが練り込まれており、濃く、それでいて上品な塩味が感じられる。


クロムツの皮は香ばしく、クリスピー。


白身はどこまでもまろやかで、粘度の低い透き通った脂が滑らかに、口の中を旨味と共に滑り落ちていく。


ソースはあくまでも香り付けと、コクを出すためのアクセント。


噛むほどに、3つの味が渾然一体となり、サンドになっている事の意味を、僕に教えてくれる。


味も値段も場所も、そして何よりこの僕自身も、全てがあの頃とは異なっている。


それでもこれは、れっきとした、思い出のフィッシュバーガーであった。


僕はもう、厨房の方を見つめようとはしない。


彼女が次に繰り出すメインのヴィアンドを、あるいは彼女が僕に何を語ろうとしているのかを、この席に座ってじっと待つ事に決める。


【画像出典】