2024/4/3 遠い太鼓③ | 福山機長の夜間飛行記録

福山機長の夜間飛行記録

月曜日から金曜日までの毎晩放送されるラジオ番組"JET STREAM"のうち、福山雅治機長のフライト部分を文字に書き起こして写真を貼り付けただけの自己満足ブログです。(※特定の個人・団体とは一切関係ございません。)

JET STREAM・・・作家が描く世界への旅。


今週は、作家・村上春樹の紀行エッセイ『遠い太鼓』の中から、「まえがき」と「ローマについて書かれた章」を、番組用に編集してお届けしています。


今夜はその第3夜。


村上春樹の紀行エッセイ『遠い太鼓』は、後にベストセラーとなる『ノルウェイの森』が書かれた時期の、貴重な旅の記録だ。


作家は、ローマで疲弊した心を癒し、新しい小説に向かう事ができるのか?


ローマの風景の中で、作家の悩みは続いた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


キッとした香りの、トスカナのワイン。


ホテルの近所の酒屋で買ってきた、あまり高くないワインだが、悪くない。


ラベルには、鳥の絵が描いてある。


見た事の無い鳥だ。


日本の雉に似ているが、色がもっと派手だ。


[ワイン]


僕は、半分ほどに減った、そのワインの瓶を手に取って、何の意味も目的も無しに、瓶の形やらラベルの図柄やらを、長い間眺める。


瓶の口を手で握り、底を腹の上に乗せて、特に何の感情を抱く事も無く、それをじっと見つめる。


ぐったり疲れると、僕はそんな風に、何かを眺め続ける事がある。


何だっていい。


とにかく、そこにある物を、じっと見るのだ。


僕は、今ワインの瓶を、じっと見つめている。


随分長い間、見つめている。


でも、まだ何の結論にも、達しない。


感情?


うん、感情なら、少しある。


僕は、すごく歳を取ってしまったような気がする。


全てが緩慢で、遠くにあるように感じられる。


そして、ジョルジョとカルロが、相変わらず頭の中を飛び回っている。


ブンブン、ブンブン、と。


僕の疲弊こそが、彼らの養分なのだ。


ブン、ブン、ブン、ブン。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


昨日は、女房の誕生日だった。


彼女の誕生日に、我々は日本を出てきたのだ。


時差の関係で、彼女はとても長い誕生日を持つ事が、できた。


とてもとても長い誕生日。


僕が初めて彼女に会ったのは、僕らが二人ともまだ18の時だった。


あれから20年。


でも、僕が歳を取ったように感じるのは、その20年という年月のせいではない。


それは、ジョルジョとカルロのせいなのだ。


参ったな。


僕の思考は、さっきから同じ所をグルグルと回っている。


僕が昔持っていた、ビーチ・ボーイズのシングル盤『グッド・バイブレーション』みたいに、真ん中の辺りでいつも先に進まなくなって、レコード針を指で内側に押してやらなくてはならないのだ。


ひょい、と。


僕はワインを、一口飲む。


窓の外からは、子供たちの声が聞こえてくる。


ホテルの向かいが、幼稚園になっているのだ。


尼さんたちが小さな庭で、子供たちを遊ばせている。


僕はもう一口ワインを飲む。


霞がかかったように、不思議にぼんやりとした、ローマの空。


眠りたい、と僕は思う。


【画像出典】