『JET STREAM』
作家が描く世界への旅。
今週は、ノンフィクション作家・佐々涼子のエッセイ『夜明けを待つ』の一部を、番組用に編集してお届けします。
今夜はその、第1夜。
著書『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』で、開高健ノンフィクション大賞を受賞した、佐々涼子。
日本語教師を経て、フリーライターとして活動してきた彼女が訪れた、いくつもの国。
今夜は、そんな佐々が、旅に出られなかったコロナ禍の思い出。
語られる言葉から、様々な景色が浮かび上がってくる。
コロナ禍で、家にこもっているうちに、すっかり不眠になってしまった。
夜更けにうつうつと過ごしていると、国際線の機長をしている友人を、思い出した。
連絡したら、今夜は休みで、家にいるという。
旅の話が聞きたくて、zoomを繋いだ。
印象に残っているフライトの話を聞くと、
「ヨーロッパ便の、ウィーンからパリへ向かうフライト。
冬でね、雪が積もったアルプス山脈の上空を飛ぶんだ。
山の斜面に夕陽が差して、一面オレンジ色になる。
美しいんだよ」
と言う。
私は息を呑んで、言葉の余韻に酔いしれた。
「それから?」
私が聞くと、彼が続ける。
「ムンバイは印象深い。
スラム街をかすめて、下りるんだ。
トタン屋根がぎっしり並んでいて、すぐ隣には高層ビル群がある。
そのコントラストが、まるで黒澤映画『天国と地獄』だ」
[ムンバイ]
その言葉を聞いて、私の心は、インドの上空を飛んでいた。
その屋根の下にも、きっとコロナで苦しんでいる人が、いるのだろう。
街のすぐ上を飛ぶと言えば、メキシコシティを思い出す。
赤や青や黄など、壁が原色に塗られたカラフルな街の、上空スレスレを下降し、街に吸い込まれるようにして、着陸する。
その際、飛行機は山を避けるために、旋回する。
すると、機体が斜めに傾き、カラフルな街が眼下に見えるのだ。
[メキシコシティ]
街が煌めいて見えるのは、空気が薄く、乾燥しているから。
空気の澄んだ冬に、星が一層輝いて見えるのと、同じ理由だ。
日本に戻るための離陸は、夜。
機体が斜めに傾くと、星を地面にこぼしたような、街明かりが見える。
溜め息と共に、彼の話を聞く。
漢江を挟んだ、北朝鮮の暗さ。
港湾のナトリウム灯で縁取られ、オレンジに光る台湾。
彼は言う。
「夏になると、日本のあちこちで上がる花火を下に見ながら、フライトをするんだ。
ニューヨークもいい。
そこが世界の中心と言われるけど、空から見ると、掌に収まるほどの大きさなんだ。
皆平和や幸せを願っているんだろうけど、そこで色んな事が、起きているんだろうと思ってね。
もし神様がいるなら、そうやって、我々を見下ろしているのだろうか?」
私が、
「いいね」
と呟くと、彼は、
「今は旅客制限があって、旅客機の客室に、貨物を積んで運んでるよ」
と笑う。
「お客さんを乗せたいでしょ?」
と尋ねると、
「それはそうさ。
人の色んな思いを乗せる仕事だからね」
と、彼は答えた。
最後に無理を言って、機長の挨拶をお願いしてみた。
私たちは、シアトル便に乗っている。
「機長です。
長い洋上飛行を続けてきましたが、左手にアメリカ大陸が、見えてまいりました」
客席から見えなくても、操縦席からは見えるものがある。
コロナ禍の終息も、そうやって朝焼けと共に、見えてきてほしい。
行けない旅はどうして、こうも美しいのだろう?
ようやく、眠くなってきた。
礼を言ってzoomを終えると、夜のしじまに雨の音が、戻ってきた。
【画像出典】