『JET STREAM』
作家が描く世界への旅。
今週は、作家、椎名誠のエッセイ『この道をどこまでも行くんだ』を、お送りしています。
今夜は、その最終夜。
「食べる」の章より、世界で一番美味いもの。
世界中を旅して、美味しいもの、そこにそれしか無いものだから、仕方なく泣きながら食べたものなど、あらゆる経験を積んだ作家が、世界で一番美味いと書くのは、一体どんな味なのか?
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僕がこれまで食べたものの中で、一番美味しいと断言できるのは、何度か行ったパタゴニア(南米大陸の最南端の辺り一帯)で、いつも世話になっていた牧場での日々に、必ず食べていたものだ。
まだ若い羊の、丸焼きである。
細長い焚き火を作り、内臓を取り除いて、鉄で作った十字架状のものに、羊の開きをくくりつけ、裏表を1〜2時間かけて、じっくり焼く。
日本の谷川沿いに住む人などがやっている、鮎の炭火焼きを、でっかくしたようなものだと思えばいい。
[羊の丸焼き]
おじさんが最初から最後まで、付きっきりで焼き加減の管理をしている。
近火にして焦がしてはいけないし、遠火にすると、焼き上がるタイミングがそれぞれバラバラになったりして、それもあまりよろしくない。
ガウチョという、この辺りのカウボーイらが十数人、片手にビノと呼ぶ赤ワインの入ったカップを持ち、片手に愛用のナイフを持って、焼き上がるのを今や遅しと待ち構えていた。
だから、日本で言う焚き火奉行兼料理人が管理していないと、まだすっかり焼けていないうちに、美味そうな所をどんどん切り取ってしまうから、その厳しい監視の役目もあるのだ。
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羊全体がアチアチ状態になると、アヒという南米独特の唐辛子系の香辛料を、丁寧に塗りつけていく。
これを、焼き上がるまで5〜6回繰り返す。
裏表程良く焼けると、このおじさんの許可が出る。
するとみんなはドッと殺到し、もう長い事このでっかい羊焼きを食べていて、美味しい部位は知り尽くしているので、みんなそこを狙う。
焦げる寸前くらいまで、きつね色に焼けた表皮と、その内側の脂肪と、さらに内側の肉の3つを、上手に一緒にくり抜くのが、一番美味い肉の切り取り方なのだ。
[羊肉]
僕は最初の頃は、まだどの辺りが美味いのか分からなかったし、どうやって食べるのかも、周りの人の見よう見真似であったから、見事に遅れを取ってしまったけれど、今言ったような切り取り方をして、やっと口に入るくらいの塊にして、噛み切る。
羊の皮が、まずチリチリして香ばしく、その内側の脂と肉が三位一体となって、いやはや美味いのなんの!
肉を飲み込んだ後、すぐに赤ワインを飲む。
僕が最初に行った頃は、チリのワインがどれほど美味いのか知らなかった。
カウボーイ向けに作られている訳ではないだろうが、甘ったるくなく、むしろ荒っぽくて、喉から胃にかけて、ギリギリ刺激してくるような強烈さが、素晴らしかった。
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