『JET STREAM』
作家が描く世界への旅。
今週は、作家・村上春樹のメモワール『走ることについて語るときに僕の語ること』より、第8章を番組用に編集してお届けしています。
今夜は、その第3夜。
日々念入りにトレーニングを重ねた村上春樹は、その年の11月、ニューヨークシティマラソンを走った。
セントラル・パークの周りで、観衆がランナーに声援を送る。
だが、タイムは4時間を切れなかった。
そして翌年の4月、村上春樹は、7度目のボストンマラソンに挑んだ。
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レース前には、体調は万全のように思えた。
休養も十分に取った。
膝の内側にあった、違和感は消えている。
これほど順調に練習を積み重ね、レースに臨んだ事は、これまでに多分一度も無かったはずだ。
だから、近年に無く、いいタイムが残せるだろうという期待。
あるいは、適度な確信があった。
あとは、ただ貯まったチップを、現金に換えればいいだけなのだと。
その時は、何か別のものが、僕の背中を後押ししていた。
「暑い最中、あんなに一生懸命練習したんじゃないか。
これくらいのタイムで走れなきゃ、意味ないぜ。
男だろ!
やってみろや!」
と、それは僕に耳打ちしていた。
通学路で、ピノキオに誘惑の声をかける、小ずるい猫と狐のように。
そして、3時間45分というのは、ついこの間までの僕にとっては、ごく当たり前のタイムだったのだ。
パークに入って、例のダラダラした坂道に差し掛かった辺りで、右脚のふくらはぎに、急に痙攣がやってきた。
周りの観衆は、
「ゴー!
ゴー!」
と応援してくれるし、僕だって走り続けたいのは山々なのだが、とにかく足が動かない。
そのような次第で、今回もやはりあと少しで、4時間を切れなかった。
あんなに努力したのに。
どうして、痙攣なんてものに、襲われなくちゃならないんだ?
もし、天に神というものがいるなら、その印をチラリとくらい見せてくれても、いいではないか。
それくらいの親切心は、あっていいのではないのか?
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およそ半年後、2006年の4月に、ボストンマラソンを走った。
[ボストンマラソン]
僕は原則的に、フルマラソンを走るのは年に一度と決めているのだが、ニューヨークでの結果がどうしても腑に落ちないので、もう一度走り直してみようと思ったのだ。
ただし今回は、意図的にトレーニングの量を、グッと落とした。
ニューヨークであれだけ念入りに練習をして、思うような結果が出なかったのだ。
ひょっとしたら、練習のしすぎだったのかもしれない。
だから今回は、特別な練習メニューは設定せずに、通常よりも心持ち増量して走り込む程度にとどめ、難しい事は考えずに手なりでやってみよう、と思った。
「ふん、たかがマラソンじゃないか」
というくらいの、クールな姿勢で。
それで、どんな結果が出るものか見てみようと、腹を決めたのだ。
という訳で、ボストンを走った。
ボストンマラソンを走るのは、7度目である。
だから、コースは大体頭に入っている。
坂道の数も、曲がり角の様子も、一つ一つ覚えている。
走り方も、概ね分かっている。
もちろん、走り方が分かっているから、それで上手く走れるというものでは全くないのだが、さて結果はどうだったか?
【画像出典】