『JET STREAM』
作家が描く世界への旅。
今週は、作家・村上春樹のメモワール『走ることについて語るときに僕の語ること』より、第5章を番組用に編集してお届けしています。
今夜はその第3夜。
早朝、大学街を流れるチャールズ川沿いをランニングする作家の楽しみは、様々な人々に出会える事。
そして、川べりのランニングコースを走りながら聴く、音楽だ。
例えば、エリック・クラプトンのアルバム『レプタイル』。
何度聴いても聴き飽きないと、村上春樹は言う。
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これまでの走行記録を振り返ってみると、僕は悪くないペースで、レースのための準備を重ねてきたように思える。
6月、260キロ。
7月、310キロ。
8月、350キロ。
9月、300キロ。
走行距離は、美しいピラミッド型を描いている。
週の走行距離に換算すれば、60キロ、70キロ、80キロ、70キロ。
10月は、おそらく6月と大体同じペース。
週に、60キロで走る事になるだろう。
朝、川べりのコースで、大体同じ時間に顔を会わせる人々がいる。
インド人の小柄な夫人が、一人で散歩をしている。
年齢は、60代だろうか?
顔立ちは上品で、いつも小綺麗ななりをしている。
そして不思議に、あるいはちっとも不思議な事ではないのかもしれないが、毎日違う服を着ている。
瀟洒なサリーに身を包んでいる事もあれば、大学のネームの入った、大振りなスウェットシャツを着込んでいる事もある。
しかし、もし僕の記憶が正しければだが、一度として、彼女が同じ服を身に着けているのを、目にした事がない。
彼女が、今日はどんな服を着ているのかをチェックするのも、早朝ランニングにおける、僕のささやかな楽しみの一つになっている。
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昨日は、ローリング・ストーンズの『ベガーズ・バンケット』を聴きながら走った。
『悪魔を憐れむ歌』の、「ホーホー」という、例のファンキーなバックコーラスは、走るのには実にピッタリだ。
その前日は、エリック・クラプトンの『レプタイル』を聴きながら、走った。
どちらも、ケチの付けようの無い音楽だ。
心に沁みるし、何度聴いても飽きない。
特に『レプタイル』は、走りながら随分、何度も聴いた。
[『レプタイル』]
個人的な意見を言わせてもらえれば、『レプタイル』は、ゆっくりとランニングをする朝に聴くには、うってつけのアルバムである。
押し付けがましさや、わざとらしさが、微塵も無い。
リズムは常に確実であり、メロディはあくまで自然だ。
僕の意識は、静かに音楽に引き込まれ、僕の両足はリズムに合わせて、規則的に前に踏み出され、後ろに蹴られる。
ヘッドフォンから流れる音楽に混じって、時々後ろから、
「左を行くよ!(オン・ユア・レフト)」
という叫びが聞こえる。
そして、競技用の自転車が、シューっという音を立てて、僕の左側を走り過ぎる。
【画像出典】