『JET STREAM』
作家が描く世界への旅。
今週は、第168回直木賞を受賞した作家・小川哲書き下ろしの物語を、5日間にわたってお送りしています。
今夜はその第3夜。
サッカーのイギリス・プレミアリーグ、マンチェスター・シティ対アーセナルの試合を見るため、日本からイギリスへやってきた男は、大観衆が見つめるスタジアムで、自分が応援するアーセナルの勝利を願っていた。
試合前のスタジアムのスクリーンには、ロックバンド・オアシスの、ノエル・ギャラガーが映っている。
スクリーンのノエルが言う。
「シティが勝つよ!
間違いないね!」
熱心なオアシスファンでもある男は、複雑な心境で、そのスクリーンを見つめていた。
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小学校に入学した年に、Jリーグが開幕した。
僕は、他の多くの子供たちと同じように、地元のクラブでサッカーを始めた。
ポジションは、フォワードだった。
[サッカークラブ]
小学校4年生の時、僕より背が大きくて、僕より足が速くて、僕よりリフティングが上手な、センターフォワードがチームに加入して、僕はベンチに座る事になった。
それ以来、僕のポジションは、ずっとベンチだった。
僕はお世辞にも、いいプレイヤーではなかった。
足はそれなりに速かったし、キックの精度も悪くなかったけれど、単純にサッカーが上手くなかった。
テクニックが無いし、視野も狭い。
同じチーム内にも、僕より上手な選手が、何人もいた。
でも、僕の頭の中には、いつも明確なイメージがあった。
ワンタッチでパスを出し、マークに来た選手の視界外へ動き出す。
パスを渡した味方が、僕をちらりと見る。
目が合って、僕は頷く。
僕の前方に広がったスペースにボールが出される。
僕は走る。
スライディングをしてきた相手の、一歩先へ。
僕の足が、ボールに触れる。
相手を置き去りにして、僕はボールを前に蹴り出す。
目の前には、ゴールキーパーだけだ。
僕は、キーパーの動きを見ながら、冷静にボールを浮かす。
ふわりと浮いたボールが、キーパーの頭上を抜けていき、ネットを揺らす。
ゴーーーーーール!
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僕の頭の中に、ゴールのイメージだけがある。
でも僕は、そのイメージを実現できない。
僕の実力が、足りてないからだ。
高校生の時、僕はギターを買った。
毎日練習して、学園祭で演奏もした。
僕の頭の中にあったのは、オアシスだった。
ゆったりとした前奏から、次第に音が重なっていく。
ホールに、歌声とギターの音が響き、観客たちと一体化する。
でも僕は、そのイメージを、実現できない。
僕には、才能が無い。
初めてアーセナルの試合を見た時、僕はこれだと思った。
僕の頭の中にあったサッカーを、完璧に実現しているプレイヤーがいた。
[アーセナル]
僕は一目で、ファンになった。
僕にはできない事を、僕には叶わない夢を、代わりに実現してくれている人たちがいる。
僕に足りなかったものを、持っている人たちがいる。
"ファン"とは何だろう?
どうしてファンは、自分とは関係の無い人の人生に、一喜一憂するのだろう?
自分の人生の一部を懸けてでも、応援したいと思うのだろう?
アーセナルは、僕自身だった。
僕が歩む事のできなかった、別の人生だった。
僕は、ピッチに立った11人の選手に、いつも願っている。
「どうか、僕の夢を、叶えてください。
僕が実現する事のできなかった、夢を」
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