2023/5/17 庭仕事の愉しみ③ | 福山機長の夜間飛行記録

福山機長の夜間飛行記録

月曜日から金曜日までの毎晩放送されるラジオ番組"JET STREAM"のうち、福山雅治機長のフライト部分を文字に書き起こして写真を貼り付けただけの自己満足ブログです。(※特定の個人・団体とは一切関係ございません。)

JET STREAM


作家が描く世界への旅。


今週は、ドイツの作家・詩人であるヘルマン・ヘッセの『庭仕事の愉しみ』から、一部抜粋してお送りしています。


翻訳は、岡田朝雄。


今夜は、エッセイ「庭にて」から、第3夜。


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私がいつも驚き、考え込まずにいられない事は、このような庭園の夏が来て、過ぎてしまう、その非常な速さと慌ただしさである。


数ヶ月の間に、この短い時間に、様々な生き物が花壇の中で成長し、繁栄を誇り、生きて、枯れて、死んでいく。


一つの花壇に、いっぱいの若い植物が植えられ、水が注がれ、肥料が与えられたかと思う間に、それはもう芽を出し、生長し、その儚い繁栄を誇り、そして月が2〜3度替わるか替わらないうちに、その若い植物はもう老いて、その目的を果たし、根こそぎにされ、新しい生命に席を譲らなくてはならない。


そして、一つの庭の中では、全ての命あるものの密接な循環が、他のどこよりもずっと緊密に、ずっとはっきりと、そしてずっと分かりやすく見る事が、できる。


庭の季節が始まるか始まらないうちに、早くも屑や死骸や、切り取られた若い枝や、刈り取られた茎や、押し潰されたりして死んだ植物が、出てくる。


そして、週ごとにそれは増えていく。


それらは、みんな台所のゴミ、りんごやレモンの皮や卵の殻や、色々な種類の屑と共に、堆肥の山に積まれる。


[堆肥]


それらがしおれ、朽ちて、消滅する事は、どうでもよい事ではない。


それは大切にされ、投げ捨てられるものなど、一つも無い。


庭師が入念に管理してきた、その醜い堆肥の山を、太陽や雨や、霧や風や寒気が分解する。


そして、またほとんど1年も経たぬうちに、庭の一夏が終わらぬうちに、死んでしまった全てのものは早くも腐敗して、再び大地に還っていき、大地を肥沃に黒々と、実り豊かなものにしなくてはならない。


そして、まもなく再び、陰気な塵芥と屍の中から、新たに若い芽、若い枝が伸びてくる。


腐敗し、分解されたものが力強く、新しい、美しい、多彩な姿になって、蘇ってくるのだ。


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そして、この単純で確実な循環全体が、どんな小さな庭でも、密かに、速やかに、紛れもなく進行している。


この循環については、人間は色々難しい事を考え、全ての宗教は、これを畏敬を込めて解釈している。


どんな夏も、前の夏の死によって、養われないものは無い。


そしてどんな植物も、土から生まれたと同じく、密かに、確実に、土に還っていく。


私は自分の小さな庭に、楽しい春の期待を込めて、インゲンやレタス、木犀草やコショウソウの種を蒔き、それらに前年の作物の残滓を肥料として与え、前年の作物の事を思い返し、新たに生えてくる植物に、思いを馳せる。


誰でもそうであるように、私もこの整然とした循環を、当然のしみじみと心に叶う事として、受け入れる。


そしてほんの時折、種を蒔いたり、収穫をしたりする時に、心の中で吸う瞬間、この地上のあらゆる生き物の中で、一人私たち人間だけが、この事物の循環に不服を言い、万物が不滅であるという事だけでは満足できず、自分たちのために、個人の、自分だけの、特別な物を持ちたがるというのは、なんと不思議な事であろうかと、思う事がある。


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