2023/1/17 居ごこちのよい旅② | 福山機長の夜間飛行記録

福山機長の夜間飛行記録

月曜日から金曜日までの毎晩放送されるラジオ番組"JET STREAM"のうち、福山雅治機長のフライト部分を文字に書き起こして写真を貼り付けただけの自己満足ブログです。(※特定の個人・団体とは一切関係ございません。)

JET STREAM


作家が描く世界への旅。


今週は、文筆家・松浦弥太郎の旅行記『居ごこちのよい旅』より、一部編集してお送りしています。


今夜はその第2夜。


世界を巡り、各地の個性溢れる書店や、その土地のライフスタイルについて綴ってきた松浦は、真冬の東京を飛び立ち、日の光が眩しい、カリフォルニア・ロサンゼルスの街を訪れていた。


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70年代の初め、斬新なスケートボードのスタイルを生み出した、ジー・ボーイズと呼ばれる若者たちがいた。


彼らの活動の拠点は、アボット・キニー界隈だった。


その時こそ、ようやくこの街が、長い眠りから目覚めた瞬間だった。


[アボット・キニー]


90年代に入ると、西の外れにアックスという、オーガニックレストランがオープンする。


この1軒のレストランによって、通りは完全に息を吹き返していく。


このアックスから、イクエーター・ブックスまでの、およそ50メートルの間には、レストランやカフェが数軒並んでいる。


歩道の半分までを、パームツリーの根が占めていて、狭くてとても歩きにくい。


通りには、小住宅がポツンポツンと立ち並び、庭に咲いたヒナギクに水を撒く主婦や、犬を洗うお爺さん、BMXに乗って遊ぶ子供たちの、のどかな風景がある。


僕は、この1ブロックほどの短い距離を、小石を拾い集めるようにして歩く。


アスファルトにスプレーされた、いくつもの相合傘に、口元を綻ばせながら。


その先、ウエストミンスター・アベニューから東は、歩道も広くなり、今では家具屋や雑貨屋、洋服屋、そしてギャラリーなど、洗練された都会的な店々が、通りの両側に並んでいる。


低い家並み、等間隔で立つパームツリー。


長くて広い空の下に、真っ直ぐに延びていく道を、通りの右側、左側へと神経を行き来させつつ、歩を進める。


しばらくすると、エンジェル・シュー・サービスという、昔ながらの靴修理店を見つけた。


店自体は、20年代から続いているというから、おそらくこのアボット・キニーで、最古の店だ。


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「エンジェル・シュー・サービス」


ベニヤ板で作られた看板には、靴と鍵と、ハンガーに掛けられたスラックスの絵が描かれている。


今時珍しい、オールドスタイルの看板だ。


ここで25年働いているという、ジャックという名の老人に、この界隈の話を聞こうと声をかけた。


軽く挨拶を交わすところまでは良かったが、街の移り変わりについて尋ねると、なぜか態度は一変。


「街は変わったんだ。


それだけだ。


アリガート」


そう吐き捨てると、


「さあ、忙しいんで帰ってくれ」


と、けんもほろろに追い返されてしまった。


1850年に、カリフォルニアがメキシコ領から、アメリカ31番目の州となった当時、ベニスは"クジラ棲息帯(ランチョ・ラ・バローナ)"と呼ばれていたそうだ。


その後、20世紀の初め、タバコで財を成したアボット・キニー氏が、アメリカのベニスとして、この一帯を運河の街へと開拓する。


そして、ベニスビーチに大きな桟橋を建造し、その上に様々な娯楽施設を建てていった。


ジェットコースターや観覧車、レストラン、水族館、温水プールなどもあり、やがてロサンゼルスで一番の行楽地として栄えたが、1940年代に市の公園管理局のお達しによって、桟橋上の施設は全て撤去。


その頃になると、運河もほとんどが埋め立てられ、70年には桟橋そのものが取り壊されてしまった。


ベニスビーチに近いエリアは、今も高級住宅地として知られている。


[ベニスビーチ]


でも、内陸に少し入ったアボット・キニー・ブルーバードは、その後、治安の悪い物騒なエリアへと廃れていった。


そんな街の移り変わりを思いながら、僕はふと、


「1つの街の形が変わる速さは、人の心も及ばない」


という、ボードレールの言葉を思い出した。


街というのは、思い出に取り憑かれた人たちの心を置き去りにしつつ、常に新しい時代のキャンバスとして、思わぬ速さで姿を変えていくものなのだろう。


【画像出典】