『JET STREAM』
作家が描く世界への旅。
今週は、文筆家・松浦弥太郎の旅行記『居ごこちのよい旅』より、一部編集してお送りしています。
今夜はその第2夜。
世界を巡り、各地の個性溢れる書店や、その土地のライフスタイルについて綴ってきた松浦は、真冬の東京を飛び立ち、日の光が眩しい、カリフォルニア・ロサンゼルスの街を訪れていた。
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70年代の初め、斬新なスケートボードのスタイルを生み出した、ジー・ボーイズと呼ばれる若者たちがいた。
彼らの活動の拠点は、アボット・キニー界隈だった。
その時こそ、ようやくこの街が、長い眠りから目覚めた瞬間だった。
[アボット・キニー]
90年代に入ると、西の外れにアックスという、オーガニックレストランがオープンする。
この1軒のレストランによって、通りは完全に息を吹き返していく。
このアックスから、イクエーター・ブックスまでの、およそ50メートルの間には、レストランやカフェが数軒並んでいる。
歩道の半分までを、パームツリーの根が占めていて、狭くてとても歩きにくい。
通りには、小住宅がポツンポツンと立ち並び、庭に咲いたヒナギクに水を撒く主婦や、犬を洗うお爺さん、BMXに乗って遊ぶ子供たちの、のどかな風景がある。
僕は、この1ブロックほどの短い距離を、小石を拾い集めるようにして歩く。
アスファルトにスプレーされた、いくつもの相合傘に、口元を綻ばせながら。
その先、ウエストミンスター・アベニューから東は、歩道も広くなり、今では家具屋や雑貨屋、洋服屋、そしてギャラリーなど、洗練された都会的な店々が、通りの両側に並んでいる。
低い家並み、等間隔で立つパームツリー。
長くて広い空の下に、真っ直ぐに延びていく道を、通りの右側、左側へと神経を行き来させつつ、歩を進める。
しばらくすると、エンジェル・シュー・サービスという、昔ながらの靴修理店を見つけた。
店自体は、20年代から続いているというから、おそらくこのアボット・キニーで、最古の店だ。
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「エンジェル・シュー・サービス」
ベニヤ板で作られた看板には、靴と鍵と、ハンガーに掛けられたスラックスの絵が描かれている。
今時珍しい、オールドスタイルの看板だ。
ここで25年働いているという、ジャックという名の老人に、この界隈の話を聞こうと声をかけた。
軽く挨拶を交わすところまでは良かったが、街の移り変わりについて尋ねると、なぜか態度は一変。
「街は変わったんだ。
それだけだ。
アリガート」
そう吐き捨てると、
「さあ、忙しいんで帰ってくれ」
と、けんもほろろに追い返されてしまった。
1850年に、カリフォルニアがメキシコ領から、アメリカ31番目の州となった当時、ベニスは"クジラ棲息帯(ランチョ・ラ・バローナ)"と呼ばれていたそうだ。
その後、20世紀の初め、タバコで財を成したアボット・キニー氏が、アメリカのベニスとして、この一帯を運河の街へと開拓する。
そして、ベニスビーチに大きな桟橋を建造し、その上に様々な娯楽施設を建てていった。
ジェットコースターや観覧車、レストラン、水族館、温水プールなどもあり、やがてロサンゼルスで一番の行楽地として栄えたが、1940年代に市の公園管理局のお達しによって、桟橋上の施設は全て撤去。
その頃になると、運河もほとんどが埋め立てられ、70年には桟橋そのものが取り壊されてしまった。
ベニスビーチに近いエリアは、今も高級住宅地として知られている。
[ベニスビーチ]
でも、内陸に少し入ったアボット・キニー・ブルーバードは、その後、治安の悪い物騒なエリアへと廃れていった。
そんな街の移り変わりを思いながら、僕はふと、
「1つの街の形が変わる速さは、人の心も及ばない」
という、ボードレールの言葉を思い出した。
街というのは、思い出に取り憑かれた人たちの心を置き去りにしつつ、常に新しい時代のキャンバスとして、思わぬ速さで姿を変えていくものなのだろう。
【画像出典】


