『JET STREAM』
作家が描く世界への旅。
今週は、アーネスト・シートンの『シートン動物記』より「灰色グマの伝記」を、一部編集してお送りしています。
翻訳は、藤原英司。
今夜はその最終夜。
「ワーブの老年時代」
巨大で力強く、孤独なワーブも、衰え、やがて死を迎える。
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今から何年も前に、賢明な政府は、イエローストーン川の上流地域を、永遠に野生動物たちの保護地として、自然のまま保存する事に決めた。
[イエローストーン]
おとぎの国のような、この広大な地域の内部では、大詩人の理想が実現されていた。
つまりここでは、誰も動物を傷つけたり、脅かしたりしては、いけない事になっていたのである。
どんな鳥や獣に対しても、暴力を振るう事は禁じられ、原生林に斧を持ち込む事も、禁止されていた。
平和で、物が豊富にあるという事は、地上の幸せの全てである。
だから野生動物たちは、この領域にそれがあるという事を知ると、周りのあらゆる土地から、わんさと集まってきた。
熊は特に、泉ホテルの周りに、沢山集まった。
ホテルから400メートルほど離れた森の中の開けた場所に、支配人は食べ物の残りを毎日持っていって、捨てさせた。
すると、そこがいつの間にか熊の餌場になり、残り物を捨てに行く係の男は、やがて熊の酒盛り場の支配人になった。
ワーブは毎年、泉ホテルが流行る季節には姿を見せ、とても有名になった。
一度、公園に来ている熊に喧嘩をふっかけられて、辺りの平和を乱した事があったが、やがて大人しい行儀のいい熊だと、評判を取るようになった。
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ワーブは今や、全く打ちのめされ、落ちぶれて、ついに王座を奪われた事を感じていた。
ワーブは今、全く力が及ばぬような強大な敵のために、昔ながらの領地を追い出されていくのだった。
小さな尾根の上、はるか向こうに、ショショニ山脈の山々が、いかめしく厳然とそびえていた。
そこへ行けば、敵はいない。
しかも、その山々を越えた向こうには、あのイエローストーン公園がある。
だからワーブは、その道をどこまでも、どんどん進んでいかなければならなかった。
だが、ワーブが震える足を踏み締め、痛む足を引きずりながら、おぼつかない足取りで進んでいると、西風が死の谷の臭いを運んできた。
死の谷とは、いつかワーブが通りかかった場所で、色んな動物が死んでいた所だった。
小さな谷で、空気までが、死の臭いに満ちていた。
今、この小さな谷間には、ワーブの探し求めているものが、全て整っていた。
ここには、平和と苦痛のない眠りがある。
ワーブには、それが分かっていた。
一度も間違いを犯した事のない鼻が、今、
「ここだ!
ここでいいんだよ!」
と、ワーブに語りかけていたのである。
その時、ワーブの老いた体に、昔の勇気が、大波のように立ち戻ってきた。
ワーブは体を翻し、一気にその谷間へ踏み込んでいった。
恐ろしいガスが、ワーブの体に入り込み、大きな胸に満ち、力強い四肢や体の隅々にまで、染み渡っていった。
ワーブは、体中の力が抜けていくのを感じた。
ワーブは硬い岩の寝床で、はるか昔、グレーブル川の畔で、優しい母親の腕に抱かれて眠ったように、今、静かに永遠の眠りについた。
【画像出典】