2022/5/3 谷村志穂書き下ろし② | 福山機長の夜間飛行記録

福山機長の夜間飛行記録

月曜日から金曜日までの毎晩放送されるラジオ番組"JET STREAM"のうち、福山雅治機長のフライト部分を文字に書き起こして写真を貼り付けただけの自己満足ブログです。(※特定の個人・団体とは一切関係ございません。)

「新しい空の旅へ」という想いを込めて、毎週様々な主人公の旅の物語をお送りしている、『JET STREAM』。


今週は、作家・谷村志穂書き下ろしの旅の物語を、5日間に渡ってお送りしています。


今夜は第2夜。


舞台は、北海道・函館。


毎年のように赴任先が変わり、引っ越しをする事になる夫。


『星の王子さま』の作家、そしてパイロットでもあったフランス人、サン=テグジュペリをこよなく愛する妻。


夫の赴任先である函館を目指して、妻は飛行機に乗る。


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夫の赴任先は、通常半年から1年で変わる。


だから東京の家は、そのままにしてある。


結婚前も、夫婦になった今も、赴任先へついて行くかどうかを決めるのは、私に託されている。


いつも二人は、新しい場所に対する、謎かけのようなやり取りをする。


そして、ようやく町の名前が分かると、私はまず一人で、そこへ出掛ける。


自分の心に、嘘をつきたくないから。


「お互いを見つめ合う事ではなくて、同じ方向を見つめる事が愛なんだ」


と言ったのも、そういえば、飛行機乗りでいつも妻に留守番をさせた、サン=テグジュペリだった。


飛行機は間もなく、着陸態勢に入る。


上空からは、淡いグレー混じりの海の水面が、かすかに泡立って見え始めた。


その山も、視界に入ってきた。


本当だ。


ウワバミのあの絵によく似ている。


[函館山]


浮島だった山が陸と繋がったのは、トンボロのせい。


彼の話なら、不思議なくらい頭に入っている。


「もしかしたら、函館?」


と答えが分かった理由は、彼がその町に鳴り響く、鐘の音について話し始めたからだった。


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彼は言う。


「山の中腹から裾野にかけては、19もの坂が延びていて、青柳坂とか、日和坂、基坂、弥生坂、幸坂、それぞれの坂に謂れがあるみたいで、今も人の暮らしが宿り、風景があった。


そして、どの坂からも、港が抜けて見えるんだよ。


元町と呼ばれる中腹のエリアには、坂道の間を這うように教会が点在している。


教会は、どれも港を見下ろして立っている。


日曜日になると、あちらこちらの教会から一斉に鐘の音が鳴り響くんだよ。


司祭が、両手両足を使って鐘を鳴らす教会は、ロシアのハリストス聖教会。


[ハリストス聖教会]


海からの風に、司祭の纏う法衣の裾が舞う。


イギリスの聖ヨハネ教会は、白い壁に十字の形を模した茶色い屋根。


[聖ヨハネ教会]


フランスの元町カトリック教会はゴシック建築で、頂には大鐘楼があり、風見鶏が立っている。


[元町カトリック教会]


ロシア、イギリス、フランス、日本の仏教寺。


それぞれの国の宗教が、鐘を鳴らすんだ」


そこまで聞いて私は、ウワバミ山のある町が分かったのだ。


函館だったのね、と。


彼は、


「鐘を鳴らしながら、人々は何を祈ってるんだろうね?


教会の鐘、自然の音、カモメの声、その町の人々の使う方言。


僕は、一日中歩いていてとても楽しかったよ」


そして、夜にふらりと入ったバーで流れていたのは、トム・ウェイツのしゃがれた歌声だった。


そう言った。


「じゃあ、あなたにはきっとまた、その町での時間が、あっという間に過ぎていくわね。


私がいなくても、きっとまた」


彼は何も返事をしない。


こちらを見る訳でもない。


それでも、あなたを好きでいられるのは、その間が誠実に思えるからだ。


「ねえ、いつまでに決めたらいい?」


私が聞くと、


「いつでも。


好きに決めたらいい。


好きに決めてほしいんだよ。


僕のせいで、君が何かを諦めてくれなくていい」


【画像出典】